乾清宮:건청궁(コンチョングン)
(王の居宅)
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長安堂 |
乾宮亭は香遠亭の奥にある。1873年に建てられた。1909年に破壊されたが、2007年に復元公開された。
当時の王、高宗は、事実上実権を握っていた大院君の力から離れる時期で、密かにここに建てたと言われる。王宮の建物の作りではなく、身分の高い両班である「士大夫階級」の建て方である。そのため、丹青は塗られていないし、王の居間と妃の居間は別々に作られている。それぞれ王の居間を「長安堂」、王妃の居間を「坤寧閤」と名付けた。隣の「集玉斎」が中国式煉瓦造りに対して、「坤寧閤」は韓国式木造建築であった。また、長安堂の後ろには玉壺楼という西洋式3階立ての建物があったが、ここは跡地のみである。
なお、明成皇后(閔妃)はこの長安堂の裏で殺され、坤寧閤に安置されてから焼かれ、池に捨てられたと言われる。