資善堂(チャソンダン:자선당 東宮)
世子の生活の場

光化門から始まる一直線の建物群は王の政治、生活のためのものであった。資善堂は世子(皇太子にあたる)の公式行事の場所で、王宮の東隣にある。景福宮が作られたときは別の場所にあったが、後に景福宮内に移された。
 
日本時代に撤去されていたが、最近復元された。撤去された建物は東京港区の大倉集古館に移されていた。関東大震災で焼失して、土台が花壇として使われていたものを発見、返還された。復元された建物はこの土台を使う予定であったが、劣化が激しかったため、もとの土台は明成皇后遭難の地の隣に置かれ展示された(現在乾清宮復元事業で再移転中)。

横から眺める 付属建物「丕顕閣」 もとの資善堂の土台

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