大黒山城(卑沙城)
点将台(現、道教寺院)から金州方面を見る。

大黒山は遼東半島の先端部大連市の金州区にある、この地域では最も高い山である。この先は幅4キロの金州地峡を介して、大連、旅順につながる。ここに高句麗の山城である大黒山城(大和尚山城)があった。高句麗時代の卑沙城に比定されている。

海抜663mの大黒山はこの地域で最も高いため、黄海や金州湾(渤海)を一望できる。また、東北に繋がる平原を見ることが出来る。したがって、遼東半島全体を抑えることが出来、朝鮮半島から遼東半島−山東半島方面の海上ルートを抑えることが出来る拠点である。同時に渤海湾を冴えることも出来る。海上から見ても目立つ山で、攻撃の対象ともなった。時代は下るが、日清、日露戦争の時に日本軍はこの山を目印に上陸作戦を行っている。

高 句麗がこの地域(遼東、遼西)を抑えたのは4世紀末〜5世紀初めにかけてのことだった。大黒山城の城壁は大黒山から西と南に向かう稜線上を走り、西南の谷を巡る。3方向が稜線で囲まれ、出入口は西門しかない。そのために防禦には優れている。一方ここを攻められたら逃げることが出来ない城である。隋の煬帝は3回目の遠征の時に、平壌に行く前にここを落とし、唐の645年の襲撃の時は、男女あわせて8000人が捕虜になった。

大黒山全景 点将台から頂上を見る。 城壁

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