高句麗新城(撫順)
高句麗新城全景

蘇子江を下り、渾江に入ったところが撫順である。その北側にある高爾山に築かれた城が高句麗新城である。高爾山城は最高峰の将軍峰(230m~を中心にいくつかの峰にまたがる城で、いくつかの部分に城壁で区分される複雑な構造をとっている(すべてが高句麗時代に作られたかどうかは不明)。土塁(一部石築)や門址が残る。南門あとは高さ10mの版築土塁で、門の反対側にも土塁が伸びていて、甕城の形式をとっていることが分かる。

高句麗新城は335年に築いたとされるもので、高句麗が、新賓から移ってきた第3玄菟郡治を奪った後、それに対する城として築いたものである。第3玄菟郡は新城とは渾江を挟んで反対側の丘の上にあり、奪取後もそれを使い続けているが、防禦の拠点としては新城の方が重要であった。唐からも高句麗の西域の要害とみられるほどの城であった。

実際、335年に城が出来た後、数年間はこの地域に勢力のあった慕容氏とたびたび戦闘を行っていた。7世紀に入り隋や唐がたびたびここを攻撃しているが、玄菟城は落ちても新城はなかなか落ちなかった。度重なる攻撃ののち、667年にようやく唐に落ちるくらい、堅固な城だった。

城は、高句麗が落ちた後も使われ、遼や金、北宋の遺物も出ている。また、遼の仏塔もここには建っている。

南門 南門土塁 第3玄菟郡方面

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