新羅の都慶州の地理的位置
新羅の都、慶州は釜山から約60キロの、日本海
側から15キロほどのところにある。日本海側で唯一といっていい平野がある。
ここは二本の谷が交わったためである。一つは蔚山から南北に延びる蔚山断層の谷が入り(図中1)、釜山から南北に抜ける梁山断層
(図中の「2」番)の谷が、慶州で交わっているためである。釜山からソウルへ行く国道1号線は蔚山まで海岸沿いを走り、蔚山から慶州まで断層谷を通りその
まま大邱へ抜けている。また、京釜高速道
路は梁山断層の谷を利用して慶州に入り、ここから東西の谷にそって向きを変えて大邱へと向かう。
両方の谷が交わるために、谷が比較的広くなり、
そこに周囲の山から肥沃な土が流れ込み、農業に適した土地となった。そこにおきた古代のクニの中でここで力を持ったのが新羅であった。クニの勢力を伸ばす
ためには、広い範囲を支配する必要があるが、慶州盆地はその面でも有利であった。大邱方面をおさえれば、伽倻の地域も支配することができる。大邱から釜山
にかけてが洛東江の流域で、川に沿って多くのクニがあった。
南の釜山方面、蔚山方面、大邱方面はそれほど高
い峠がないからである。断層の谷の影響と、太白山脈がこの付近で終わっているためである。北は小白山脈を越える必要がある。ここは早くから峠道が開発され
たが、新羅がここを越えて勢力を伸ばすまではかなり時間がかかった。
反対に4,5世紀は軍事的に力を持っていた高句
麗がこの山脈を越えて、新羅に影響力を及ぼしていたこともあったのである。新羅にとって小白山脈は、国を守ってくれる物でもあり、国力を伸ばす障害でも
あったのだ。
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1,2が断層線 |