龍山三角地(2)
地 図の(2)付近 1941 年の地図

龍山三角地にはもと龍光寺をは じめ多くの日本人住宅が残されている。鉄道の分岐点に栄えた町であるが、最初日本人は駅の近くの 低地に町を作っていった。その付近を新龍山と呼んでいた。低地のため洪水の被害も大きく、1925年には龍山駅付近で3メートル近い水位になったという。

三角地(삼각지:サムガクチ)の三叉路にアパート群があるが、そこでは京城電気の路面電車の車庫があった場所である。

地図の(1)付近 これも地図の(1)付近 橋の親柱
(2003年消失)
説明図

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