金堤、碧骨堤(벽골제)
第2水門 復元された水門

益山南の金堤(김제)にある。「三国史記」によれば韓国最古最大の貯水池とされ、330年に築造されたとされる。その後、新羅時代、高麗時代に修築された後、1415年に再び作り直した。だが、1420年に大雨で破壊された。現在、堤外は貯水池でなく用水路である。これは日本時代には農地改良事業で用水路化されたためである。

堤防は、朝鮮時代には長さ約3キロ、5つの水門があったとされるが、現在は2カ所が残っている。これだけの堤防を築くには32万名の動員が必要である。ところで、三国史記に水門、堤防の記述は出てくるが、発掘しても、現在のところ百済時代の遺構は見つかっていない。築造時期も、320年にはまだ百済はこの地域を支配していないので、百済時代にしてももっと時代を下げるべきと考えられている。さらに、現存する水門は朝鮮時代のものであり、水門あとも見つかっていない。また、ここに果たして貯水池を作る必要があったのかも議論されている。

それらから、最近碧骨堤の最初の姿は、潮受堤防でなかったかと考えられるようになった。現在でも2キロほどのところが海岸線である。それが後に貯水池化されたのだろうということである。

いずれにせよ、このようなところで貯水池などを作る技術は、日本の渡来集団によって日本にもたらされ、あちらこちらに溜池が作られるようになった。

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