だんじく様

だんじく様

生 月島は潜伏キリシタンの多いところであった。1550年代後半から60年代にかけて、ここを支配していた松浦氏の支族である籠手田氏と一部氏が宣礼を受け るとともに、領民である島民も一斉にカトリックに改宗した。しかし、伴天連追放令以降、松浦氏はキリシタンの弾圧を始めた。もともと松浦氏は貿易のため に、キリスト教を容認していたにすぎなかったからで、特に1599年に松浦鎮信が領主になってからは、支配地の家臣すべてに棄教を強要し、従わなかった者 を追放する指示を出した。こ の結果、平戸での弾圧は苛酷なものとなった。一方で、生月島は捕鯨基地でもあったため、平戸に較べて弾圧の力が弱かった。そのため、明治になるまで、ほぼ 全島民が潜伏 キリシタンであったとされる。

しかし、平戸と較べて弾圧の力が弱かっただけで、弾圧が無かったわけでない。その痕跡と伝えられる所も多く残っている。「だんじく様」もその一つである。海岸沿いにあ り、崖を10分ほどくだったところにある。ここはキリシタンの親子3人が殺害されたところである。家族は五島方面に逃げるために、海岸沿いに潜んでいた。 だが、子供が海岸に遊んでいる様子を海上を通る役人に発見され、全員殺されたというのだ。

その後、「だんじく(笹竹)様」と呼ばれ、1月16日が命日とされて、お参りが行われている。祠の中には「ダン竹大明」と文字が刻まれている。いまでも供養が行われるが、海からお参りに行ってはいけないとのことだ。

なお、「だんじく様」の説話について、ヨセフ、マリア、幼子イエスのエジプト避難の説話が、地元殉教者の話に置き換わったという指摘がなされている。



海岸 急傾斜地を降りる階段

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