宮地嶽神社
宮地嶽古墳石室

福岡県福津にある神社。宮地嶽の中腹にある。社伝によれば、1600年前、息長足比売命(神功皇后)が三韓征伐の時に、ここに祭壇を築いたこととなっている。それとともに、皇后に付随した勝村・勝頼大神も合わせている。社殿の裏手には宮地嶽古墳があり、不動明王がまつられている。三の鳥居からは相島が眺望できる。

本来、福津は宗像郡に属した。ここに勢力を置き、盛んに大陸と行き来していた宗像氏の拠点である。近くの津屋アには宗像氏の奥津城と考えられている古墳群がある。これらの古墳の一番南にある古墳が、宮地嶽古墳である。西の石舞台といわれるほどの巨石で築かれた横穴石室をもつ古墳、径が34mの円墳である。副葬品などから、ヤマト大権と関係を有する宗像氏の有力者の墓と考えられていて、宗像君徳善の墓とも言われる。

宮地嶽神社は1882年に宗像神社境外五摂社の一つに加えられているが、鎌倉時代の記録では宗像三所大菩薩と勝村大菩薩を祀っていたという。また、その記録から宮地嶽の山霊が勝村大明神だったことがわかるという。山頂には古宮跡がある。なお、勝村氏は磐井の乱の磐井の君の末裔であった。磐井の乱の後、磐井の息子は、屯倉をヤマト朝廷に寄進している。それが福津の近くにあったと言われている。

拝殿 大注連縄 日本一の大きさの鈴
    
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