福泉洞古墳

福泉洞古墳群は、東萊 邑城から下りてくる丘陵の上にある古墳群である。丘陵のもっとも高いところは62.5m、長さ700m、幅80〜100mである。以前はもっと長かった とされる。

発掘で170基が発見されたが、造営時期が4世紀初頭から7世紀までの長期に亘り、伽耶古墳の構造変化の指標となっている。このうち単純な木槨墓73基、副槨のある木槨墓20基、甕棺墓4基、単純な竪穴式石槨墓54基、土壙墓2基、木棺墓8基、横口式石室墓1基である。いずれも墳丘があったかはわからない。発掘された遺物は1万点に及ぶが、鉄を含めた金属製品が3千点でていることが特徴である。

このうち10号墳からは馬冑が発見されている。5世紀前半のものだが、伽耶地域から集中的に発見される。日本では和歌山の大谷古墳、埼玉古墳群の将軍塚の2例が知られている。

54号墳は、5世紀中葉のもので、伽耶地域で殉葬の行われたもっとも古いものとされる。主槨、副槨を含め4人以上が発見された。53号墳、54号墳が展示されている。また、丘陵上で墳墓の発見されたところは四角い植え込みにして分かるようになっている。


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