伝源太じいの墓・福成神社
伝「源太じい」の墓

悲恋の主人公「源太じい」の墓と伝えられるものが、桂の池跡の近くの福成神社脇に置かれている。

その後ろには「陰陽地蔵尊」が祀られている。地蔵は延命地蔵で、文化10年(1813)年、源太じいの「1050年忌」に作られたとされる。説明板によると、源太じいは恋が成就しなかった夜、「延命地蔵」が夢枕に立って、「自分を信仰するように」と伝えた。翌日源太じいは延命地蔵を刻み、刻み終わった所で池に身投げした。その後女御(橘姫)も池に飛び込んだと書かれている。その後源太じいと女御と、延命地蔵を崇めてきたとされる。

源太じいの墓のある福成神社の祭神は「宗像三女神」と「斉明天皇」、「天智天皇」である。朝倉市の説明板によると~功皇后が熊襲を征伐し、三韓征伐に赴くときに宗像神を祀って、海路の安全を願ったとされる。また斉明天皇も中大兄王子とともに、百済復興運動の時にここに参拝したとされる。

宗像神は海の神である。~功皇后が海路の安全を祀ったにしても、ここから海まではかなり距離がある。地形的にこの付近から筑後川が乱流していたようだから海になぞらえていたかも知れない。ところで、朝倉より少し下流の地域は水沼氏の地盤であった。水沼氏も宗像神を信仰している。その関係ではないかと考えられるように思う。

陰陽地蔵尊 福成神社 拝殿の絵馬
    
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