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6.遺跡の盗掘
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 今回の旅行で見学した遺跡は、マリクワト故城、クズルガハ烽火台、クズルガハ千仏洞、キジル千仏洞、スバシ故城、高昌故城、アスターナ古墳群、ベゼクリク千仏洞、交河故城と盛りだくさんであり記憶は混乱してしまう。遺跡は何れも原型を留めないほど風化しており、建設 当時の姿をイメージすることは出来ない。

 これが例えばトルコのエフェソス遺跡のように石の文化なら、崩れても形跡は残るのだが、土の文化のタクラマカン砂漠では風化すれば跡形もない。ただ広大な建造物群があったことが分かるだけである。観光案内の写真集が至る所で売られているが、建設当時の想像図を描いたものは探しても無かった。

 特に残念なのは千仏洞の壁画の破壊である。先ず盗賊が金目のものを盗んだ。壁画の金箔の部分だけが丁寧に剥がされている。しかし盗賊は金目のものは盗んだが壁画の価値は理解せず、破壊は限定的なものだったであろう。
 次に10世紀以降に宗教がイスラム化したときに壁画は徹底的に破壊された。偶像を嫌うイスラムは壁画の顔面の部分だけを剥ぎ取り、それが出来ないところは両目だけをえぐっている。これは組織的な破壊で徹底しているだけに残酷である。
 地元に住む人たちもその価値を理解せず、羊飼いが千仏洞の洞窟の中で暖を取り壁画を真っ黒にした箇所もあった。これの修復技術は未だ無いと説明された。
 次に20世紀になってイギリス、ドイツ、ロシア、日本などの探検隊が訪れ、学術的価値が高いものを競って国に持ち帰った。他国による組織的な盗掘である。
 そして最後に 1,960年台の文化大革命で紅衛兵が宗教を否定し遺跡を破壊した。日本の観光案内書にも記載されているが莎車王陵は紅衛兵に破壊されたと言う。

 これらの受難を経て最後に残ったものを今回の旅行で見学したので、壁画は全て痛々しい。しかし残された壁画は見るだけでも、創造性豊かで楽しいものが多い。動物達はいきいきと描かれ裸体の女性の仏像もたくさんある。定型化されていない面白さがある。例え幼稚な絵でも文明が発展する時代の勢いがあると思う。

 比べて現在のこの地方のイスラム寺院の造りはどこに行っても画一的な感じがある。女性は寺院で礼拝は出来ない。カシュガルやヤルカンドで職人街を歩いたがそこで作られているいろいろな製品も伝統ある様式を伝えてはいるが定型化している感もある。楽器製造は技術が高く精緻な装飾が施こされているがやはり定型的な文様が多いと思う。古き良き時代の伝統を受け継いでいると言えば格好は良いが、発展する勢いも必要と思う。そうでないと生存競争の激しい近代化に伴って伝統が衰退することにでもなれば、それはとても残念なことである。

                                    続く
                              
            2003年10月7日 記