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テレビ番組
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NHKスペシャル 新シルクロード
「激動の大地を行く」シリーズ
放映日 2007/5/20
執筆日 2007/5/20
第2集 「シバの女王の末裔たち」 を視聴して
(本稿は、別途開設しているブログ “「新シルクロード」雑感” より転記したものです)
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本日(5月20日)のNHK「新シルクロード 激動の大地を行く」のシリーズ第2集は「シバの女王の末裔たち」であった。

番組の構成は、古代(3000年前)に乳香の交易で栄えたイエメンの「シバ王国」と、現在の石油で栄えているサウジアラビアを対比させたものとなっている。乳香とは、乳香の樹木から分泌される樹脂であり、焚いて香または香水などに使用する香料の原料である。

私はイエメンには行ったことがないのでよく分からないが、番組ではイエメンの国民全体が今でも熱烈に「シバの女王」を敬愛しているかのような印象を与えている。果たしてそうだろうか? 
シバの女王は3000年前の女王であり旧約聖書の時代である。旧約聖書のヒロインをイスラム教のイエメン人が敬愛しているのだろうか? しかも歴史はその後の3000年間で民族の興亡を含めて激しく変動している筈であり、シバの女王を意識して生活している人は極く僅かとしか思えない。日本の卑弥呼の時代ですら17 00年前のことである。

3000年前のシバ王国の栄光を、現在の石油成金のサウジアラビアと対比させ、さらにシルクロードのロマンと絡み合わせるのは論理が飛躍していないだろうか。番組は一見ストーリーがあるように構成されているが、すべてこの方針にそって取材されており、ちぐはぐな面もあった。

先ずイエメンの街で取材中偶然に近隣の人々の集まりに誘われる場面があり、ここで乳香とシバの女王が歌で紹介される。これは出来すぎであり、やらせの感じがした。

そして、イエメンの砂漠の中の巨大な神殿跡の発掘現場に画面は移り、そこがシバの女王の神殿の可能性が強いとの説明があった。その根拠は、巨大な神殿であること、多くの人種や民族が巡礼で集まった記録が石に刻まれた碑文より判読出来たこと、遺跡の年代が3000年前頃と推定されることなどであるが、シバの女王の決定的な証拠の説明はなかったように思う。

次ぎに、イエメンの山村で農業を家業としていた主人(マフムード)が、農業では家族を養いきれずにサウジアラビアに出稼ぎに出る場面があった。出稼ぎは本当であろうが、取材の出会いの場面やインタビューはもとより、サウジアラビアに向かう車に同行するなど、かなり事前に周到に撮影を準備(やらせ)していたように見えた。ドキュメンタリーとしては自然体ではない。

サウジアラビアのジッダの街の場面では、原油の高騰で夜も昼のように賑わう場面、若い娘が金に糸目をつけずにブランド品の欲しいものは何でも買い漁る場面、郊外の15LDKの巨大な邸宅を持つショッピングモールの経営者の紹介などがあった。彼は「発展に限界はない」と豪語していた。
そしてその繁栄を下で支える貧しいイエメンの出稼ぎ労働者の紹介があり、これらの場面でもナレーションは、シバの女王の栄光とシルクロードに絡められている。
「乳香で栄えたシバの女王がソロモン王を訪ねたのと同じ道を辿って、シバ王国の末裔が豊かなサウジアラビアへ石油の富を求めて彷徨っている」と。

以上の場面を視聴しながら再度確信した。これは最初からストーリーありきの取材であり、自然体のドキュメンタリーではない。どう考えても、3000年前の「シバの女王の栄光」と現在の「石油成金の栄光」は別問題だと思う。

また、中流階級が多数を占める日本では国境を越えての出稼ぎは馴染まないが、中東では国間の貧富の差が激しく、しかも貧の国民の割合が圧倒的に多いため、国境を越えての出稼ぎは通常のことであり、イエメンからサウジアラビアへの出稼ぎが特別な例ではないと思う。しかし番組では、これをシバの女王やシルクロードに関連させて特殊な事項であるかのような印象を恣意的に視聴者に与えている。

ただ、番組の最後でサウジアラビア北部の街(マダインサーレ)で、砂漠の民ベドウィンが古来の民謡として「どんな繁栄もいつかは終わる」と歌っていたのは納得する。これも「やらせ」であろうが!

蛇足だが、シバの女王とインドのヒンドゥー教のシヴァ神は、何れも遠い国の遠い昔の話でありその違いの認識はなかったが、調べてみたらシバの女王は英語表記では(Sheba)、シヴァ神は(Siva)であり全くの別人であることが分かった。了
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