テレビ番組
視聴評論
NHKスペシャル 新シルクロード
「激動の大地を行く」シリーズ
放映日 2007/4/15
執筆日 2007/4/15
第1集 「炎と十字架」 を視聴して
(本稿は、別途開設しているブログ “「新シルクロード」雑感” より転記したものです)
NHKの「新シルクロード 激動の大地を行く」のシリーズが新たに始まった。今日はその第1集で、タイトルは「炎と十字架」であった。
取材地は南コーカサス地方の「アゼルバイジャン」「アルメニア」「グルジア」である。この地方は、独特の民族音楽や教会建築、ワインなど、豊穣な文化の宝庫の一方で、アレキサンダー、モンゴル帝国、オスマン帝国など、東西の巨大帝国による侵略にさらされ続けてきた。シルクロードのもたらした恵みと災いの歴史を象徴する地域であるとのこと。
現在ではこの地方を訪問するツアーは数多く催行されているが、私は旅行したことがないので番組を興味深く鑑賞した。ただし編集方針に以下の違和感も感じた。
この地方は、ソビエト崩壊後の「新たな紛争のうねり」により、戦火は今もやまず100万をこす人々がふるさとを追われ難民となっていると紹介された。
取材は多岐にわたる。アゼルバイジャンの難民キャンプに暮らし13年ぶりに故郷近くに移転する家族、紛争にも負けずブドウと葡萄酒を守ってきたアルメニアの家族、紛争後の再生の状況を記録する若いカメラマン、戦火をくぐり抜けた廃墟の村で暮らす老夫婦‥‥‥
シルクロードのロマンとは、車も通信も大量土工機もない時代に、地を這うようにして砂漠や山を越えて文明や宗教を伝えたことにあると思う。日本で例えれば、聖徳太子や遣唐使のロマンである。しかし聖徳太子や遣唐使にロマンを感じるのは、それが遥か昔の出来事であり、関係者は既に誰も生存せず、歴史を包括的に理解して眺めるからである。
そのような古代の歴史のロマン、あるいはシルクロードのロマンの上に、現在の民族間の紛争あるいは大国のエゴの犠牲になっている現在の難民を重ね合わせるのは納得がいかない。社会主義やソビエトの崩壊は、シルクロード時代には想定外の事でありロマンは繋がらない。
例を日本に移してみよう。独裁国家の横暴により現在も苦しんでいる家族(拉致被害者の家族)を、遥か昔の豊臣秀吉の朝鮮征伐と絡めて「歴史のロマン」などと放映したら世間は怒るであろう。拉致被害者の家族に対しても失礼である。
取材地は日本から遠く離れたコーカサスなので、視聴者は「遥か昔のロマン」と「現在の難渋」を重ね合わせても違和感はないかも知れないが、この二つは本質的に別問題と思う。「現在の難渋」を取材するならば、そのテーマに沿って取材をし、その実態・背景・解決の方向の示唆などをドキュメンタリー番組として放映すべきと思う。歴史のロマンと重ね合わせるべきではない。
「新シルクロード」と銘打って放映するならば、伝え継がれてきたシルクロード時代の文明が、25年前の「旧シルクロード」の撮影時期と比較してどのように変わったか、またはそれを通して今後の文明と歴史が歩むべき道筋を示唆するような番組として欲しいと思う。
番組担当者に言わせれば「だからこそ現在の紛争は避けて通れない」と言うかも知れない。ナレーションにあるように、歴史的には現在の紛争はシルクロードの時代に繋がっていると‥‥‥難しい。
テーマ曲は、前回の中国で撮影された「新シルクロード」と同じくヨー・ヨー・マであるが、本日の番組に関しては異国性を極端に強調した激しいものではなくさらりとしたものだったので、前回よりは自然であったと思う。了