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NHKスペシャル 新シルクロード
放映日 2005/10/10
執筆日 2005/10/10
第8集 「カラホト 砂に消えた西夏」 を視聴して
(本稿は、別途開設しているブログ “「新シルクロード」雑感” より転記したものです)
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新シルクロード第8集:「カラホト 砂に消えた西夏」を本日(10月10日)BShiにて視聴した。

私は西夏を訪れた事はなく、25年前の旧シルクロードでも西夏はそれほど印象に残っていなかったので番組にそれほど期待していなかった。ただ西夏の名前だけは井上靖の小説「敦煌」で何度も登場するので頭に強く残っていた。

番組の内容は今回はかなり濃密であった。
テーマは二つあり、一つは西夏の城塞オアシス都市のカラホトが滅びたのは、明の時代(14世紀後半)に黒河の枯渇によりカラホトの体力が弱っていたところを明の軍隊により城内に至る水をせき止められて滅亡した経緯の紹介である。
説明では、蒙古軍(13世紀初頭)は西夏の都であった銀水などは徹底的に滅ぼしたが、カラホトだけは無傷で残し、そこをシルクロードの交易都市として活用した。そして西夏のカラホトは明に滅ぼされるまでは大変栄えたと言う。

しかし25年前の旧シルクロードでは、カラホトはジンギス・ハーンにより水をせき止められ滅ぼされたとの説明であった。
旧シルクロードも新シルクロードも土地の古老がカラホト滅亡の詩を歌っているが、新シルクロードでは詩の時代が明代になっている。
私は不勉強でこのことは今回初めて知って興味深く思った。

もう一つのテーマはカラホト周辺の水の枯渇の問題である。
カラホト周辺には元々豊かな川(黒河)が幾重にも流れ、琵琶湖の1.5倍の大きな湖(居延澤)があった。
しかし明の時代に急速に枯渇して周辺は「砂漠化」してしまった。タマリスクの根本の土壌に含まれる落ち葉の「放射性炭素劣化状況」を調べると14世紀後半〜15世紀初めに水路が枯れた事が分かった。この原因として、アルタイ山脈や祈蓮山脈に残る氷河を深くボーリングして「科学的酸素同位体」を分析すると、やはり 14世紀に小氷期と言われる気温変化があったことが分かったと言う。
これはこれで学問的には興味深いことであろうが、水に関するもう一つのテーマは現代の深刻な枯渇の紹介であった。

25年前のNHKの取材ではカラホトに近いエチナの町は、水の豊かな遊牧民が家畜をたくさん飼っているオアシス都市であった。ところが今回の取材ではそこは「砂漠化」が眼前まで押し寄せており、遊牧民の生活の糧たる家畜に与える牧草がなくなってしまっていた。
そのため遊牧民が飼育する山羊はこの5年で1/2に減り、しかも痩せた山羊は安い値段で買い叩かれる。
生活が出来なくなった遊牧民に対する政府の方針は「遊牧を止めて定住化するための住宅を無償で与えるのでここを出て行け」と言うことであった。

ここからが問題である。明の時代にカラホトの水が枯渇したのは気象の変化によるもので人為的なものではないのである意味仕方がない。

しかし現代の枯渇は人為的なものである。
即ちエチナの村を流れる黒河の上流に120箇所以上のダムが建造され、そこで水がせき止められ、下流に水が流されるのは年に僅か4〜5回と言う。ダムの上流(例えば長掖市)では用水路が網の目のように張り巡らされ農地と人口は拡大し、そこでは農耕民が豊かな畑で生活を享受している。犠牲になったのは下流の遊牧民である。

同じような話は数ヶ月前に別の局の番組でもあった。ホータン川の上流にダムが設置され上流側の農民は潤ったが、下流の農民は大変な犠牲を強いられている番組であった。この番組ではその解決策の一つとして砂漠の地下に埋もれている豊富な地下水を利用することをこれから研究すると言っていた。

私が2年前にタクラマカン砂漠を縦断する「沙漠公路」を走った時は、道の両側は正に砂漠であった。ところが今年「沙漠公路」を走った方から戴いたメールでは、沙漠公路にそって4kmおきに地下水を汲み上げるポンピングステーションがあり、タマリスクに水を与えて緑化していると言う。
緑化は素晴らしいことであるが、地下水を汲み上げるポンプには大量の電力が必要な筈である。広い目で見てその発電による地球温暖化(公害)と緑化による自然改良との得失はどのような計算になっているのであろうか。無公害の太陽発電では電力として弱いと思うが。

話は変わって、これまた以前に別の局の番組で紹介された話だが、イスラエル領土内の山や平地は緑豊かな土地であるのに較べ、同じ地形のパレスチナ側は禿げ山であるとの内容であった。イスラエルは強大な軍事力を背景にして、川の水の大部分をイスラエル側に引き込んでしまった結果だと言う。

このような話を集めると、自然は自然でなく人為の結果と言うことになってしまう。強者が限りある水を多く得て豊かな自然を享受し、逆に弱者が酷い自然の中で犠牲になる。強者の理論である。
また水利に関係した大土木工事が必ずしも環境に配慮されてないことも分かった。

それはそれとして、今回の番組では冒頭に述べたように取材はかなり濃密である。
牧草が少なく痩せた山羊が安く買い叩かれる場面、政府の役人がこの土地を捨てて別に用意した町の住宅に移れと命令する場面、困った遊牧民の夫婦が今後を相談する場面、土地を去る遊牧民を見送る村民と遊牧民が別離の歌を歌う場面、上流側の農民が下流の人は気の毒だとインタビューされる画面‥‥‥、短期間の取材でよくもこれだけタイミング良く取材出来たものだと不思議にさえ思う?了
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