テレビ番組
視聴評論
NHKスペシャル 新シルクロード
放映日 2005/6/13
執筆日 2005/6/14
第6集 「敦煌 石窟に死す」 を視聴して
(本稿は、別途開設しているブログ “「新シルクロード」雑感” より転記したものです)
6月13日にBshiにて新シルクロード第6集「敦煌 石窟に死す」を視聴した。
「新シルクロード」の視聴に先立って、井上靖の小説「敦煌」の映画をビデオで改めて鑑賞した。この映画を映画館で観たのは17年前であり、その時の印象は「戦闘場面が多くて凄い映画だな」位であったと記憶している。しかし今回改めて鑑賞した時は、「ホータン」「西夏」「吐蕃」等の地名や民族名が実際に旅行した経験から実感を持って理解でき、この映画の印象が遙かに豊かなものになった。
芸術的に幅と奥行きが膨大な敦煌石窟の作品群を観光案内的に端折って紹介したテレビ番組は過去にも数多くあり、その繰り返しではマンネリの感があると思っていた。そのため新シルクロードの敦煌編はどのような構成になるのか興味があったが、今回の番組の企画は多面的で非常に面白かった。
25年前の旧シルクロードの敦煌編は石窟内の壁画や彫刻を紹介するのがメインであったのに較べ、今回の新シルクロードの敦煌編はその壁画を制作した「名も無き絵師」たちの生活、あるいは周辺の農民の生活なども合わせて紹介されている。
従って新シルクロードと旧シルクロードの両方を視聴すると敦煌がより立体的に理解出来ると感じた。
歴史の転換点には必ず戦争があり、有名な歴史上の人物が登場している。その有名人により歴史が理解しやすくかつ面白くもなっているのだが、その有名人の陰には数百万、数千万の無名の人達が居た。そしてこの無名の人達の苦悩と活躍を背景に有名人が出現した。このことは信仰や芸術の分野でも同じである。
有名人に大切な家族があり人生の喜びや苦悩があったと同じく、無名人にも大切な家族や人生の喜びや苦悩があり、各個人にとってその重さは有名人・無名人に関係なく等価である。このように考えると歴史や芸術を有名人だけで理解しようとするのは一面的であると思う。
17年前の私は映画「敦煌」でその戦闘場面に感動した。人によってはそのメロドラマの部分に感動した人もいただろう。偶然とも思える複雑怪奇な歴史に感動した人もいただろう。何に感動するかは鑑賞者の個人的事情に依り変わる。
同じく、新シルクロードの敦煌編でその番組の何所に感動するかは視聴者の知識・感性とその人生観に依って変わると思う。折り重なる多様な視点、それが歴史のロマンでもあろうか。
今回の番組は「歴史に名を残すことがなかった無数の人達」にも視点を当てたことは、その筋書きが中途半端な面があるにも関わらずとても有意義な試みと思いながら鑑賞した。
なお敦煌石窟の美術に関しては、ブログ「日本の美術・アジアの美術」に敦煌に関する展覧会など詳しく解説されており参考になりました。了