テレビ番組
視聴評論
NHKスペシャル 新シルクロード
放映日 2005/4/11
執筆日 2005/4/18
第4集 「西域のモナリザ」 を視聴して(その2)
(本稿は、別途開設しているブログ “「新シルクロード」雑感” より転記したものです)
「新シルクロード」第4集は西域南道のホータンが舞台であるが、2年前に参加したタクラマカン砂漠のツアー旅行では、ホータン以外にヤルカンドと民豊にも1泊ずつ滞在した。
これらのオアシス都市は住民の大部分がウイグル人であり、漢民族が多いウルムチなどとは雰囲気が全く異なる。特にヤルカンドでは当方は現地の風俗が珍しいが、先方も日本人が珍しいらしく互いにじろじろ見つめ会うこともあり、これぞ正に異国情緒豊かなシルクロードとの感を持った。
これらオアシス都市で見学した名所は、遺跡的なものではイスラム寺院、アマニシャーハンの墓、莎車王陵などで、その他に紙漉き民家、帽子造り民家、シルク織り民家、玉石工場およびロバ車あふれるバザールなどがあった。名所は何れもイスラム色が強く印象に残った。
ところが「新シルクロード」第4集で撮影されたダンダンウイリクおよび周辺砂漠の大画廊遺跡はイスラムでなく仏教時代の遺跡である。
ダンダンウイリクの壁画や第2集のベゼクリク千仏洞の壁画から窺えるように、千数百年昔のこの地には壮大な文明の交流と自由闊達な創作が盛んであり、インドやイランの文化を基調とした仏教や拝火教の高度な文化が花開いていた。
対して偏見とは思うが、現在のイスラムの文物は寺院や楽器など非常に見事ではあるが発展する勢いは少なく画一的なものが多い。置かれた社会情勢の影響もあるだろうが‥‥‥。
シルクロードを旅行して楽しいのは、仏教時代の荒廃した広大な遺跡群と、現在のイスラムの異国情緒あふれる風俗を無意識ながらに対比しているからかも知れない。
テレビで何度もナレーションがあっが、このタクラマカン砂漠一帯は10世紀頃に宗教が仏教からイスラムに転化した。
これは単に宗教が改宗されただけの単純な出来事ではなく、政治・経済のシステムや学問・医学など生活の全ての分野において価値観が入れ替わったことを意味する。
従って当時は僧侶を弾圧し壁画や仏像を破壊することが正義であった。
極近の出来事では、文化大革命で紅衛兵がやはり彼らの価値観にもとづいて莎車王陵などの古い遺跡を破壊した。
今でこそ「これらの行為は愚かであった」との批判は出来るが、当時は何れも破壊が正義であったのである。
このような目で現在社会を見るとどうであろうか。
現在の正義は「近代化」や「経済成長」で豊かになることである。けれどもこの正義が後世から見ると、自然破壊・資源の食いつぶし・貧富の拡大・人心交流破壊の時代として批判されることになるかも知れない。
もっと身近に見よう。現在中国では反日デモの嵐が各地で吹き荒れており、日本国内でもそれに対する反感が強まっている。
後世から見れば「どちらかが、あるいは両方が愚かであった」と批判されるだろうが、困ったことに現在ではどちらもその枠内では正義なのである。両方とも自国の歴史認識を正義と思っている。
折角「新シルクロード」のような素晴らしい番組が放映されているのだから、民族と宗教の争覇とともに民族の価値観が転化してきた歴史を学んで、もっと長く広い目で判断する政治家と民衆が増加して欲しいと思うが幼稚であろうか。
序でに、中国の反日デモの合い言葉は「愛国」である。またアメリカのブッシュ政権はしきりに「国益」と言う言葉を使い、日本でも「これが国益だ」と言えば皆が納得する。
しかし、「愛国」や「国益」はそれを強調すると必ず他国のそれとバッティングする。特にアメリカや日本や中国のような経済大国や資源消費大国が「愛国」や「国益」を主張すると、弱小国を含む世界は限りなく混乱し、資源も偏って乱獲される。
地球全体の資源に限りがあることが認識されてきた現在では、大国は「愛国」「国益」に代えて、「愛地球」「地球益」で判断しなければならない時代になりつつあると思う。
しかし皮肉にもシルクロードから学ぶことは、弱い国は強国の食い物にされ、リーダーが判断を誤り滅ぼされた国もある。やはり人類は徹底的に犠牲を出さないと正しい判断が出来ないものなのだろうか。手遅れと言うこともある。了