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テレビ番組
視聴評論
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NHKスペシャル 新シルクロード
放映日 2005/3/15
執筆日 2005/3/29
第3集 「草原の道 風の民」 を視聴して(その3)
(本稿は、別途開設しているブログ “「新シルクロード」雑感” より転記したものです)
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 いろいろな方のブログを読んでいると、25年前の「旧シルクロード」の方が今回の「新シルクロード」より印象が強かったとの感想も多い。私も第3回の「草原の道 風の民」ではそのようにも感じた。
画面は、大草原とその中の馬や羊の詩的な景色およびその的確な撮影アングル、人々の生き生きとした表情、そしてハイビジョンの画質の細かさなどが素晴らしいので、その面を主体として鑑賞すると非常に印象的な番組ではあるが‥‥‥。

「新シルクロード」が「旧シルクロード」より印象が薄くなる理由を考えて見た。
25年前に「旧シルクロード」を見た時には、行った事もなく想像も出来なかった場所の風景が殆どであり、テレビの画面に新鮮な驚きや感動を持って眺め続けていた。しかし「新シルクロード」では事前に情報がたくさんあり、私自身も似たような地域を訪れた事もあるため「新鮮」と言う意味では前回より劣っていた。

次にこの25年間の変化として、中国政府の西部大開発の影響もあり遊牧民の生活様式の近代化が進んだことも番組の印象を薄くする原因になっているのではないか。
遊牧民と言っても現在では定住化が進み、例えば1年の半分だけ遊牧を行い、移動には駱駝に代えてトラックを使い、テント住居の中にテレビがある生活に変わっている。
25年前の番組ではシルクロードの砂漠や草原は、駱駝で数日間かけて移動しないと辿り着けない僻地とのイメージが強かったが、現在では道路が整備され車で数時間あれば行ける場所が殆どと思う。

ただし車で簡単に辿り着いた場所でも画面ではシルクロードのイメージを強調した角度で撮影し、かつ昔の生活様式を部分的にしろ演出しているようで、「やらせ」を感じるところがある。取材に多少無理をしているのではなかろうか。
これは番組の性格上止むを得ないとも思う。例えば日本の京都を紹介する番組を作ったらやはり同じような撮影方針になるだろう。

また、番組中で「突厥」が主題になっていることについて前回のブログで軽く疑問を投げたが、関連して考えれば番組は中国で作成され歴史的な説明も中国の資料によるものが多い。これら言語・文明ともに漢民族の強い影響の中に取り込まれつつある遊牧民の実態が、無限の大草原を駆け抜ける遊牧民に憧れる人にとっては番組の印象を薄くする一因となっているのかも知れない。

それと騎馬遊牧民に対する突っ込みの度合いに関し取り留めもない疑問をいくつか持った。
例えば「騎馬遊牧民は文字を残さず」とか「騎馬遊牧民は戦いばかりしていた」との意のナレーションが何度かあったが、本当にそうだったのだろうか? 
確かに歴史(中国側の歴史)に残る事象は戦争しかなく、平和な時代は記録に残らない。しかし4000〜5000年前の悠久の時代のシルクロード交易の跡、あるいは遊牧民の長い民族移動の歴史を見ると、長大な平和な時期の合間に歴史に残る戦争があったのではなかろうか?  
中国側から見れば騎馬遊牧民族に怯えて1800年間以上費やして6000km以上の万里の長城を作り続けた。しかし騎馬遊牧民側から見れば絶えず攻め続けた訳ではなく、彼らの興亡のタイミングに応じて漢民族を襲い、それ以外の長い平常時は悠然と広大な草原で暮らしていたのでなかろうか。
生活様式の変化がない悠久の時代が長く続けば、文字で記録を残す必要がなかったのかも知れない。

第1回の「楼蘭」では4000年前のミイラ、第2回は「ベゼクリク千仏洞壁画のデジタル復元」とテーマがはっきりしていたが、第3回の「草原の道 風の民」では上記のようにテーマが少し弱いと思った。
その意味では、次回の第4回「西域のモナリザ」はテーマがはっきりありそうなので楽しみにしている。 了
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