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テレビ番組
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NHKスペシャル 新シルクロード
放映日 2005/3/15
執筆日 2005/3/16
第3集 「草原の道 風の民」 を視聴して(その2)
(本稿は、別途開設しているブログ “「新シルクロード」雑感” より転記したものです)
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「新シルクロード 草原の道 風の民」の番組構成を見ると、多少気になる点があるので考えてみたい。

先ず番組の冒頭で、アルタイ山脈の草原「三道海子」に小高く積まれた石の山が紹介され、地元民の話として「ジンギス・ハーンの墓とも言われているが良く分からない」との簡単なインタビューがある。そして、ジュンガル盆地でのモンゴルの祭オボーが映される。
続いて、バインブルク高原、アルハンガイ草原あるいはイリ河の地域などで、かつての騎馬遊牧民族「突厥」の末裔や、遺跡から発掘された遺物などの光景が美しく映し出されている。
そして「8世紀に突厥が滅んでから、幾多の遊牧国家が一時代を築いては消えていった」とのナレーションが語られる。この番組のメインテーマの騎馬遊牧民族は「突厥」である。
最後は、18世紀の清朝時代に瀋陽より西方に派遣された「シボ族」の末裔が映され、イリ河に架かる橋より美しい夕日を眺めるウイグル族、カザフ族、シボ族で締めくくられる。

気になる点は、重点の置き所である。
確かに「突厥」は6世紀を頂点としてユーラシア大陸を部分的にしろ支配下に置いた。しかしユーラシア大陸の大きな歴史の流れの中で「突厥」は未だマイナーな存在であったと思う。
6世紀の「突厥」や9〜12世紀の「ウイグル族」等の騎馬遊牧民族の興亡を継いで、13世紀に「モンゴル」のジンギス・ハーンやそれに続くフビライ・ハーンが出現した。そして「モンゴル」が中国からヨーロッパに跨り当時の世界の5分の3を支配し、文字通り世界の歴史上最大の帝国を構築し、同時にシルクロード交易の頂点を築いた。
マルコ・ポーロが東方を目指したのもこの時代である。

このように歴史の流れを見れば、「草原の道 風の民」の集大成は「突厥」でなく「大モンゴル帝国」の筈である。
だが番組では「大モンゴル帝国」の時代の遺跡やその末裔の紹介に重きは置かれてない。

大モンゴル帝国は「風の民」でなく巨大台風・怒涛の民族であったから、スケールが大きすぎてこの番組では扱いかねたのか? 
または自尊心高き漢民族にとって、完全に支配下に置かれたこの時代は仔細を思い出したくない感情があるのだろうか?
 
1990年にNHKスペシャル「大モンゴル」が合計5時間のシリーズで放映された。この番組ではシルクロード最後の頂点としてのモンゴルの歴史の紹介に熱が入っていた。この番組は日中共同制作ではなかったのかも知れない。

些細なことではあるがもう一つ疑問を持った。
番組最後に「豊かなイリ河を巡って、幾多の騎馬遊牧国家が覇権を争ったが、遊牧民族の歴史にクサビを打ったシボ族‥‥」とのナレーションが流されるが、その意味合いが唐突で理解出来ない。
ユーラシア大陸の騎馬遊牧民族の歴史は雄大であり、シボ族はその中の一つの逸話に過ぎないと思うのだが。

正しい歴史認識と言っても民族毎に経緯・立場が異なり難しいとは思うが、何れにしても番組で見られるように「草原の道 風の民」の「誇り高き民族の生き様」を少しでも現代から後世に継承して欲しいと思う。了
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