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NHKスペシャル 新シルクロード
放映日 2005/2/20
執筆日 2005/2/21
再び「ヨーヨー・マ」について
(本稿は、別途開設しているブログ “「新シルクロード」雑感” より転記したものです)
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「新シルクロード」シリーズの2回目「トルファン・灼熱の大画廊」を視聴して、音楽監督ヨーヨー・マについて印象が少し纏ってきた。
彼は中国人ではあるが、若い頃からパリでクラッシク音楽を学び、米国にも渡り世界的に有名になったチェリストであると紹介されている。西洋音楽の世界的な厳しい競争の中で生き残った超エリートなのであろう。クラシック以外にもジャズや民族音楽など幅広く活躍しているとも聞いた。
分野を勝手に他人が限定するのは差障りがあるが、私の感じではやはり彼はクラシックが本業と思う。

「新シルクロード」の音楽では至る箇所に西域(シルクロードと言われる地域)のメロディーやリズムが織り込まれている。しかし、それらはあくまでクラッシクを基盤として織り込まれており、西域の音楽そのものが主体ではないようだ。
例えば、西洋の印象派の画家や作曲家が東洋に憧れてエキゾチックなイメージを持つ作品を多く残しているのと重なる。こう書いては失礼が過ぎるので補足しよう。彼はとてもアクティブに西域の音楽と交流していることは画面からも伺えるが。

彼は西域(シルクロードと言われる地域)の出身ではないので、西域の音楽に新鮮な感動を持って接している。それは西洋音楽の感覚から得た新鮮な感動である。言い換えれば、西域の音楽そのものが彼の音楽のDNAに滲み込んでいるのではない。
そのため、砂漠や草原で生きる民族の生活の厳しさ・荒々しさ、及びその中の繊細な感情を強調するよりも、むしろ近代的な垢抜けた洗練性を強調する音楽になっている。 
女子十二学坊と比べてはお互いに失礼と思うが、女子十二学坊もやはり厳しい風土の中の生活感の荒々しさを表現するのではなく、洗練された心地よさを強調していると思う。

それと、「新シルクロード」のプロモーション番組で、モーターグライダーによる低空飛行で名所を撮影した「シルクロードを飛ぶ」が頻繁に放映(5〜10分)されている。その背景の音楽が中途から女性のコーラス?に変わるが、この音楽は何度聴いても場違いの感がするがどうだろうか。

「新シルクロード」の音楽が良いとか悪いとか言っているのではない。好み、または期待との相違の問題だと思う。私自身の好みを言えば、洗練性よりも厳しい風土の中の生活感溢れる音楽の挿入を期待していた。ただし、私の好みの音楽を採用していたら、それこそ物凄いクレームが溢れていると思う。

25年前のシルクロードは喜多郎の音楽だったが、彼は西域の音楽とは直接関係無く自らのイメージで作曲しており、そのイメージが期待感とぴたりと合い私の心を打った。

繰り返すが、ヨーヨー・マの音楽が番組に合わないと言っているのではない。好みの問題であり、回を重ねて番組を視聴する間に感想はまた変わるかも知れない。
私は音楽に関しては全くの門外漢である。ご指摘あればどのようにも感想を変えます。了
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