元監獄博物館
patagonia060002.gif
パタゴニアのトップへ
写真−88〜89
元監獄博物館
ナンキョクブナの乱伐‥‥
ウシュアイアの周辺もかつては海峡の水際まで森がびっしり茂っていた。しかし街の発展に伴い無秩序な伐採が進み、あちこちに大きな傷痕を残した。極寒の地では樹木の生長が非常に遅い。なかでもナンキョクブナは直径50cmになるまで100年以上かかると言われている。そうした中で山を裸にするほど大規模に森を乱伐したのは刑務所である。街の西側の各所に見られる広大な裸山は、受刑者が半世紀にわたって伐採したものだ。この伐採作業と運搬を効率化するために、木製の軌条の簡便列車が敷かれた。当時の客車は屋根がない吹きさらしの無蓋車で、囚人は凍てつく風に叩かれながら森に通い続けたと言う。
(以上書籍情報の抜粋)

同じ路線を観光列車が、「最果て」と「囚人」を売り物に繁盛していた。

元監獄博物館
2007.2.14
最果ての観光列車
最果ての観光列車
2007.2.15
ウシュアイア(アルゼンチン)
return.gif next.gif
最果ての流刑地‥‥
美しい最果ての港町ウシュアイアはかってはアルゼンチンの流刑地として知られ、 1896年から1947年までの半世紀、凶悪犯や政治犯を震え上がらせた「地の果ての極寒の監獄」の所在地だった。政治犯とは、時の権力者への富の集中に対して正義感や疑問を抱いた人が含まれる。当時の刑法は厳しい刑罰を与えて犯罪者を懲らしめたので、収容者には過酷極まる監獄であった。そのころ植民地を有する列強は、遠隔の植民地を囚人の手で開発する流刑植民を進めていたので、当時のアルゼンチン政府が最も遠い辺境の地であったウシュアイアを流刑植民の対象としたのは当然の成り行きだろう。この「地の果ての極寒の監獄」は、今では「元監獄・船舶博物館」となり、監房の一つ一つが展示室になっているとのこと。

ここはツアーのメニューに無かったので、残念ながら外観だけしか見られなかった。