タラバー門
写真−108
撮影地:パガン
2011_2_26
タラバー門‥‥
9世紀、ピュー族の時代に造られた城壁の東門。
何故上座部仏教になったか‥‥
9世紀、ピュー族が築いた城壁の名残り。13世紀、元の侵攻でバガン王朝は崩壊した。門の両脇の祀堂には、土着の神ナッツを祀る。
何故ミャンマーは上座部仏教になったのだろうか。調べてみた。
11世紀に、バガン王朝の42代目アノーヤター王が即位すると王朝は強力になり、モン族の都タトォン国を滅ぼし、ビルマに統一王朝を開いた。
しかし、ビルマの西隣(現在のバングラデシュ)はパーラ王朝が支配しており、インド密教の中心地であった。アノーヤター王は、それまでの大乗仏教や密教を廃止し、上座部仏教を導入することにより、対立するパーラ王朝の影響を排除しようとした。
そのため、アノーヤター王は、タトォンからモン族の王と多数の僧侶を捕虜としてバガンに連れ帰った。そして、彼らを教育者として、モン族の仏教であった上座部仏教を、バガン王朝の宗教に転換した。現在まで綾くミャンマーの宗教文化の基礎は、この時に完成された。(日本は平安時代中期、藤原一門の栄華衰退、貴族政治惰勢の時代)
このように見ると、国の宗教は、他民族との抗争の歴史において、自国のアイデンティテ−を強化するために決められたものであり、それが21世紀の現在まで続いていることになる。