ダヤマンジー寺院
写真−102
撮影地:パガン
2011_2_25
ダヤマンジー寺院‥‥
12世紀、王の次男ナラットゥは王座に就こうとして父王と兄を暗殺し、1167年王位に就いた。罪の意識にさいなまれ、罪滅ぼしのためそれまでで最大で最も細かく、最も変わった寺院を建て始めた。しかし1170年暗殺され、工事は中断した。夜は幽霊が出るといわれる。方形の基壇が5層に重なった独特の幾何学的スタイルの建築が美しい。とてつもなく立派な煉瓦建築寺院である。この建物一個で十分に世界遺産の価値があると感じた。
王位継承ルール不在が国力を弱めた?‥‥
ビルマの王朝史が、なぜ変遷極まりなく、理解しにくいことになったのだろうか。
歴代のビルマ王朝では、王位継承ルールがはっきりせず、王位継承時に争いが起こり、そのため長期的な国力が安定しなかったとの記述が書籍にあった。写真のダヤマンジー寺院は、王位継承争いで肉親を殺害したことに謂れを持つ寺院である。王位継承争いで国力が弱くなった隙に他民族が付け込んで王朝が入れ替わることを繰り返してきたようだ。これは世界史共通の現象である。
日本の場合、家督(家長権)は長男への単独相続、遺産は分割相続とする伝統があった(家督精度は現在はなくなった)。また天皇家は皇位継承順序が明確であった(例外はあるが)。
継承ルールが一応存在した日本でも、継承争いは歴史上頻繁に起こっているので、ルールのなかった国では言わずもがなである。それに加えて多民族が入り混じった国はさらに複雑になる。
理想的な権力継承方法は、国民による民主的な選挙により継承者を選ぶ方法であろうが、中東のように部族社会が優先し、民主的ルールが根付いていない場合は難しい。総選挙は政権がその支配を正当化し、永続化を図る「儀式」に過ぎない場合がある。
選挙が民主的に行われても、反対勢力側が、現状不満分子寄せ集めの「烏合の衆」では、選ばれた人は出身母体の権益に固執するので、政権交代後にさらに混乱を繰り返す。