エーヤワディー川のサンセット
写真−86
撮影地:エーヤワディー川
(バガン)
2011_2_24
先住民の方が文化水準が高かった‥‥‥
エーヤワディー川は、かつてはイラワジ川と言われていたミャンマー第一の大河。
現在のビルマ族は9世紀にエーヤワディー川を下って中国からやってきた。当時ミャンマーには先住民族としてピュー族が住んでいた。このピュー族も遥か以前に中国からやってきた民族であるが、既に文字文化と宗教文化を持っていた。
また、ビルマ族のバガン王朝(アノーヤター王)が南部のモン族の王朝を滅ぼした時、モン族も文字文化を持っており、高度な宗教文化を持っていた。そして、バガン王朝のアノーヤター王は、モン族が信仰していた上座部仏教を自国の宗教に変更した。ピュー族の文字とモン族の文字を組み合わせたのがビルマ族の文字である。これを示す石碑がバゴーの寺院に残されていた。
また、第42代のアノーヤター王は初めてのビルマ族としての大様と書籍に書かれている。第1代〜第41代はピュー族が大様であった。普通ならば、民族が変わった王朝が表れれば、それが第1代の大様となる筈であるが、アノーヤター王は第42代の王様である。ということは、文化高いピュー族の地域に侵入した遊牧系のビルマ族が、ピュー族の農耕文化を吸収しながら勢力を増大し、遂には強大な大様になったということであろうか。
すなわち、文化の高い民族が生き残ったのではなく、力が強い民族が生き残ったことになる。ここでも、力が正義の歴史であった。