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写真−83〜85
2011_2_24
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2011_2_26
パーカン僧院近くの民家
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2011_2_24
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日本の経済援助(ODA)‥‥
調べてみると、日本のミャンマーに対する経済援助額(ODA)の過去からの累計は、諸外国の援助額に較べてダントツに1位である。この経緯には、太平洋戦争時の加害者としての日本の立場も関与している。

ODAの始めの形態は、サンフランシスコ講和条約による戦後賠償だった。それに準拠して、1954年からの10年間で日本はビルマに720億円の戦後賠償を行った。65年からは準賠償(経済技術無償協力)が続き、並行して68年から有償資金協力、75年から無償資金協力も始まり日本の対ビルマ政府開発援助(ODA)が本格化した。即ち、平和条約、賠償支払い、経済協力、経済開発という複数の要因が順次、あるいは並行して進行した。しかし、88年に見直され、新規の有償援助を凍結している。(Wikipedia)