change007004.jpg
全体目次へ
訪問した国々の激しい変化
change002004.jpg
訪問した国々の激しい変化のトップへ
§6.台湾の変化
change001007.jpg change001007.jpg
前へ
次へ
街の至るところに掲げられた国威発揚のスローガン。
(1972年5月)
台湾の首都台北と、南部の大都市の高雄を訪れたのは1972年5月(私が31歳の時)、初めての海外出張であった。30年以上も前のことである。

当時、台湾と中国の関係は今よりはるかに厳しく、一触即発の状態と言っても過言ではなかった。ホテルには原子爆弾で攻撃された時の注意事項のビラが置いてあった。また敵国の中国と付き合っているビジネスマンは敵とみなされ、中国のビザが押印してあるパスポート所有者には、台湾のビザを発給しない方針だった。このため中国にも訪問する機会がある人は、便宜上2通のパスポートを日本政府より発行してもらい、使い分けていたとの話も聞いた。

高雄では通勤に自転車が多く、川のように自転車が流れていた。どこの国でも同様であるが、経済の発展に伴って先ず自転車が多くなる。やがてそれがバイクになり、さらなる経済成長に伴って今度は自動車が溢れる。自動車が多くなり道路が渋滞するに伴って、高速道路が建設され、電車、地下鉄、鉄道などの大量公共輸送機関が整備される。従って、その国の都市の交通状態を観察すれば、その国の経済成長の位置付けが推察可能である。

高雄から台北へは、台湾自慢の列車「呂光号」に乗った。車窓から見る田園風景を懐かしく眺めた記憶がある。

台湾訪問後の大きな事件として、1975年蒋介石総統死去、一方中国では、翌1976年に周恩来と毛沢東が死去している。1978年日中平和友好条約調印、1979年米中国交正常化、そして1989年には天安門事件が起こっている。1997年は香港返還の年である。

台湾は冷戦時代のアメリカの強力な後押しもあり、経済成長は中国より早く進んだ。また、中国も文化大革命(1966年〜)の負の遺産を乗り超えて、1992年ケ小平が指導する改革開放加速化により経済は急速に成長を始め、北京オリンピック(2008年)を開催出来るほどになった。

相変わらず建前としては互いに厳しいことを言って譲らないが、現在は互いに相手がそれなりの力を持つことを認めざるを得ない状況と思う。後は建前と本音を使い分けて面子を保ちながら、時間の経過と共に状況と意識が好転し、最終的には友国の関係が出来るのではないだろうか。

台湾からの帰りに沖縄に寄った。この時沖縄は未だ日本に返還されておらず、パスポートとビザが必要だった。返還は訪問の直後である。

近々、30年ぶりに台湾を訪れ、その変化を見てみたい。

平成14年11月13日 記



   




change001007.jpg change001007.jpg
前へ
次へ