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訪問した国々の激しい変化
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§4.ギリシャの変化
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リオンの街の真夜中のショー。
次から次にコミカルなショーと演奏が繰り広げられた。地元ゼネコン社長の一家と共に見物した。午前2〜5時である。
(1988年1月)
リオン-アンチリオン間のフェリーを下船する地元の人々。
ギリシャの田舎らしい雰囲気。
(1988年1月)
ギリシャに出張したのは1988年1月、私が47歳の時である。バルカン半島のリオンと対岸のペロポネソス半島のアンチリオン間のコリンス湾海峡に吊橋を架ける計画があり、入札希望者を募っていた。アテネの西方約200km地点である。

現場調査の目的でリオンとアンチリオンを訪問した。ただし入札寸前にギリシャの政権が入れ替わり、政策が変わったとかで入札は中止された。

以前にも同じようなことが何度かあったらしい。政権が交代する度に選挙の人気取りで工事計画が発表され、選挙が終われば中止になる。先方の都合に掻き回されたのではかなわない。当時そのように思っていた。

ギリシャでもカルチュアショックはあった。地元のゼネコン社長宅に招かれて食事をした。夕方の8時から午前1時頃まで家庭的な雰囲気で食事を楽しませてもらった。それからである。社長が「街にショーを見に行かないか」と言った。こちらが時計を見て訝ると、「今から街は賑やかになる」と言う。午前1時過ぎに街に出ると、その通りであった。民族的な踊りや演奏を楽しんで、ホテルに帰ったのは、朝の5時頃である。ラテン民族系がシャッセ(昼寝)の習慣を持つのは当然と思った。

ギリシャそのものは、訪問した当時と現在で、それほど社会変動はないと思う。EUにも所属し、激動の経済成長期は過ぎ、社会は安定期に入っているからである。

さて橋梁建設のその後であるが、1999年に発注され2004年のアテネオリンピックに向け鋭意工事中である。受注したのはEU連合の7社コンソーシャムで、リーダーはフランスのゼネコンVINCI Construction Grands Projets、上部工の製作と架設はイギリス名門橋梁会社クリーブランドである。形式は吊橋でなく、5径間連続斜張橋となった。寂しい町リオンとアンチリオンは、海峡を結ぶ橋梁建設の大工事で賑わっている筈である。

15年前は冷やかしの計画と思っていたが、オリンピックの開催も踏まえ、非常に長い息で計画は進展していた。そしてフランスの会社もイギリスの会社も、自国政府と一体となって、建設資金計画も含め工事の実現を仕込んで来た。

先方の国の情報不足の上、国と民間会社が協調して受注に挑むことが不可能な日本では、このような工事の受注は非常に難しいと思う。15年前に検討した時の先方資料も、日本のような門外漢に不利となる条項がたくさんあった。

平成14年11月11日 記






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