鍋島文武は、天保10年(1839年)に生まれました。
父は、佐賀第9代藩主鍋島斎直、母は、武富總三郎秀興の娘“歌崎”です。
初め、“皆次郎”、後に“式部”と称し、
嘉永2年(1849年)、11歳の時、佐賀藩家老で倉町鍋島家当主の鍋島志摩敬哉の
養子となり、倉町家を相続しています。
そして、翌年には家老職に任じられています。

この倉町家は、龍造寺隆信、鍋島直茂に従い数々の軍功を挙げ、
初代勝茂以降の鍋島藩政下では、重臣として鍋島姓を賜り、
倉町鍋島を称するようになりました。
ちなみに、文武の異腹の兄は、第10代藩主直正を筆頭に8名おり、
幕末の多難な時期、共に藩政の一翼を担っていきました。

ところで、何故、文武が倉町鍋島家に養子として入ったかですが、
これは、三保野の頁で説明していますが、倉町家と武富家は縁戚関係にあり、
母方である武富家の血筋を考慮して相続したという事も充分に考えられます。

この武富總三郎秀興についての詳細は、不明です。



※ 倉町鍋島家 … 物成1,900石
佐賀藩家老・倉町鍋島家当主
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