白山武富家は、明国の人である“十三官”を始祖としている。
十三官の長男である庄左衛門道智が、
佐賀郡三溝村の郷士武富茂助政基の妹を娶り、
名を武富と定めたもので、後に佐賀城下の白山町に移り住んだ。
これが、白山武富家の始まりである。

1854年の白山町竈帳によると、

  町人頭
  丸散店  御用達  武富忠蔵(45才)
  御用呉服                    
                    と記載されている。

武富忠蔵は、藩の御用商人で、呉服御用を勤める傍ら、
丸薬業を営んで、白山町の町人頭に任ぜられている事がわかる。

武富家が、“萬金丹”という薬店を開いたのは元禄時代で、
その後、天明3年(1783年)に藩外からの売薬の移入が禁止されると、
藩庁の許可を得て、佐賀藩領全域に販路を広げていったのである。
さらに、享和2年(1802年)、店を継いでいた武富順三は、
隣藩である大村藩の財政再建に対する功績が認められ、
大村藩内での家伝薬“萬金丹”の販売許可を取得する事となる。
これは、大村藩が功績を賞して扶持米を与えようとしたが、
順三は、佐賀藩の御用商人であるが故に辞退し、その代わりに
販売許可を申請したためである。

また、武富順三は、佐賀藩の支藩である蓮池鍋島家の財政運営にも
参画し、金融も行っていた事が、「蓮池鍋島家請役日記」に記録
されている。
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佐賀八幡宮【 龍造寺八幡宮 】
鎌倉の“鶴岡八幡宮”の分霊が祀られており、
“白山八幡宮”とも呼ばれている。
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