レポート
私が見た しのだ選挙
■外からの風景
F
<04年2月3日更新>
「おい、こんなことで篠田は大丈夫か」。しのだ事務所を訪れた私の先輩はみんな心配していた。
「集会だって、いつも寂しいじゃないか」。その通りだった。
動員選挙はしない――しのだ陣営はそう決めていたのだが、いざ走り出してみるとやっぱり“外の目”が気になった。
出馬表明集会、事務所開き・出陣式、模擬市長ワークショップ、青空対話集会…このときはボランティアに「友達と一緒に来て」と声をかけ、支援してくれる国会議員、市会議員の後援会に「人を少し出してください」と頼んだのだが…。
結果は“0勝全敗”。どれも目標を下回った。
記者から「向こうの集会は満員でしたが」と感想を聞かれた。
「驚かないよ。動員の仕方を調べてごらん。集まって当然。集まらなかったらそれこそ事件だ」。そう答えたのを覚えている。
◇
マスメディアは、伝統的な“比較の目”で両陣営を見ていた。
後援組織の規模は? バックの大物は? 政党・団体の推薦は? 基礎票は? 集会の人数は? 金は?
結果はいうまでもない。篠田は当初「ほうまつ」に近い扱いだった。
「そんなことで測れる選挙じゃないよ」
私は、無い知恵を絞ってタテ型とヨコ型の組織の違い、それに伴う運動の違いを力説した。
「向こうは大きな網を掛けて、取り込んだ票を逃がさないように締め付けを図る。上から下への運動だ。このご時世、必然的に反発を呼ぶ。だから上滑りして縮む」
「こっちは母体こそ小さいが、そこから放射状に伸びていく内から外への運動だ。タマ(篠田の資質)はいいし、時代の後押しもある。最後には必ず面白くなるよ」
記者はまだ「基礎体力の差は大きい」と見ていた。
しのだ陣営を外から見た目――まるで“烏合の衆”のようだというこの見方が二つの対照的な動きにつながっていく。
しのだ支持者は「自分が、私が頑張らなきゃ」と目の色を変えた。
相手陣営は「楽勝」と油断した。
(敬称略)
(しのだ昭応援ボランティア・小泉)
体力差 大きいなぁ