レポート
私が見た しのだ選挙
■タマちゃん号
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<04年1月22日更新>
しのだ選挙は、ボランティアが命だった。
ボランティア選挙のよさは、金がかからないことだけではない。自発的で多様な知恵と手足が生かされ、しがらみのない政治家を世に送り出すことができる――これこそが大きい。
「政党、団体の支援はお断りする。だが個人で、ボランティアで応援してくれるのなら、だれだって拒まない」。篠田の発言は明快だった。
その拠点、しのだ昭事務所は鳥屋野湖畔に面した新潟市神道寺に設けられた。必要なものはほとんどボランティアが持ち寄った。
「あれもいるね」と私がいうと「書き出して壁に張ろうか」「うん。そうしよう」と作業が進む。みんなが仕切り屋で、だれもが運び屋だった。
篠田が自宅からテーブルなどごっそり持ち込んだのはいうまでもない。
事務所開き(9月20日)の前日、駐車場に2台の街宣車が入った。屋根に「じゃ〜ん!青空記者登場」の大文字。車内には選挙に必要なあらゆる機材が詰め込まれていた。
県外からの応援ボランティア部隊だった。
このボランティアは、広島市の秋葉忠利市長、千葉県の堂本暁子知事、横浜市の中田宏市長らを応援し、勝利に導いた。
しのだ選挙の半年前には新潟参院補選の黒岩宇洋陣営にも加わった。
市民派選挙のベテランばかりだ。
このときの逸話が、週刊誌AERAに載っている(2003/10/27号)。
一緒に徹夜作業をした地元のボランティアが「どうしてここまでやるの?」と聞くと「こういう選挙のやり方が広まれば日本が変わると思うから」と答え「お金をもらっていたら8時には帰るよ」と笑ったという。
部隊のリーダーは篠田の大学の後輩。願ったり叶ったりの縁だった。
「じゃ〜ん! さあ出陣」。篠田は満を持して街頭に飛び出した。
◇
この県外からの応援が脅威だったのか、相手陣営は「新潟市民でない集団に操られている」と中傷した。
「ボランティアは全国から来ているよ」と私たちは笑った。そして相手が利用しようとした「多摩ナンバーの街宣車」を、アザラシ・タマちゃんの人気にあやかって“タマちゃん1号・2号”と呼ぶことにした。
朝市へ、繁華街へ、農道へ。“タマちゃん号”は篠田とともに一日も休まず走り続けた。
(敬称略)
(しのだ昭応援ボランティア・小泉)
来る者は拒まない