レポート
私が見た しのだ選挙
■ド素人集団
「新潟市長選 篠田氏が出馬へ」(2002年9月3日新潟日報)。新潟市民の多くは、この報道で初めて篠田の名前を知った。
「新潟市のまちづくり市民グループは、篠田昭氏を擁立する方針を固めた。篠田氏は来週にも出馬表明する見通し。同グループはまちづくりや福祉、文化活動に取り組む人たちが中心。市民ニーズをくむ第三の候補が必要として、水面下で候補者探しを続けていた」
新潟日報はさらに「篠田氏擁立には社民党、自由党の県連代表も個人的立場としてかかわっており、篠田氏が出馬すれば両党内、さらに労組など支持団体の間で対応にねじれが生じる可能性がある」と報じた。
篠田周辺は一気に慌しくなった。
「早く事務所を探さなきゃ」「備品の調達リストは」「出馬集会・記者会見はいつ、どこで」「政治活動団体の届出が先だ」「カンパを受ける口座開設を急がないと」・・・
どれも待ったなし。右往左往の毎日だった。
こうして始まった素人集団のドタバタ劇は、しかし「手づくり選挙」の避けがたい過程でもあった。だれかの指令や、用意されたレールに乗って動く集団ではないのだから、ボランティアとして集まった者が知恵を出し合い、汗をかくしかない。
図形で描けば、篠田を真ん中にして左右に手を結んだヨコ型の集団、あるいは篠田を中心点に置いて丸く取り囲む円形つながりの集団、という姿になるだろうか。
従来のタテ型の選挙組織とは違う、この常識はずれの基本形態は、しのだ選挙のゴールまで続いていく。
◇
篠田擁立の母体の名は「青空を呼ぶ市民ネット新潟」と決まった。
篠田は、信濃川沿いのやすらぎ堤で正式に出馬表明した(9月10日)。
「青空選挙 いきいき新潟」「ぽっかり青空 あきら晴れ」。こんな手づくりの横断幕とノボリを背にした屋外集会だった。
「青空」の生みの親は、まちづくりの会合で「篠田さんが出ると聞いて目の前に青空が浮かんだ」と語った女性である。以後、しのだ選挙のキャッチフレーズになった。
篠田の「清廉」「誠実」「改革」「挑戦」をイメージさせるシンボルカラーになったことはいうまでもない。
(敬称略)
(しのだ昭応援ボランティア・小泉)
A
<04年1月19日更新>
タテよりヨコが好き