◆義士なるか不義士なるか
赤穂浪士は義士か不義士か。

福沢諭吉さんは次のように述べておられます。

「私はどちらでもよろしい、義不義、口の先で自由自在、君が義士と言えば僕は不義士にする、君が不義士と言えば僕は義士にして見せよう、サア来い……と言って、敵になり味方になり、毒のない議論は毎度大声でやっていたが、実の入った議論をしたことはけっしてない」(『福翁自伝』桃山から帰って火事場に働くより)

ところが、『学問のすゝめ』では赤穂不義士論を述べておられます。
『学問のすゝめ』はこれからの国民に対するメッセージですから、敵討ちはだめよという教えは当然ですな。
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