水師営会見所跡
水師営会見所の碑(2枚に剥離) 会見所(1996年復元)

旅順攻撃に対するロシア側の降伏交渉が行われた場所である。「水師営」とは1715年清国が設けた軍隊の駐屯地に由来する名前である。

1905年1月1日、ロシアの旅順総司令官ステッセル中将が降伏に関する申し入れを行った。翌日から日ロ双方がここで交渉を行い、1月1日に乃木希典とステッセルが会談したことで旅順の戦闘は終了した。

現在会談所跡には復元された会談場がある。机として使われたものには、文字が書かれている。これは野戦病院として使われていたここで会談が行われたために、担架から机に転用されたものである。庭には水師営会見碑が裏表2枚に剥離されて展示されている。さらにステッセルが会談のために乗ってきたアラブ産の白馬をつないでおいたナツメの3代目が植わっている。この白馬は会談終了後乃木希典に送られたことで知られる。

担架として使われた板 ステッセルの白馬をつないだ棗(3代目) 水師営市街
 
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