旧韓国公使館あと(市ヶ 谷)

公使館 跡(左)、ルクセンブルク大使館(中央)

日本が韓国を植民地にする前、1905年まで公使館の あった場所である。当時は麹 町区中六番町、今は千代田区四番町で日本テレビの裏に当たる。中央線市ヶ谷駅の近くで、その敷地の隣はルクセンブルク大使館が建っている。公使館の前は、 番町皿屋敷でお菊さんが帯を引きずりながら逃げたという伝説のある「帯坂」がある。また近くには東郷平八郎の屋敷跡である東郷公園と、靖国神社がある。

韓国(朝鮮国)は明治21年にここに公使館を設置して、日本政府と外交交渉を 行っていたが、1905年に第2次日韓協約が結ばれ、韓国の外交権が日本に移ると、公使館はその機能を失った。敷地内地はいくつかの建物が建っていたよう で、当時の地形図で数棟建物が描かれているし、公使館裏の建物で下宿していたという留学生の記録がある。なお、この時点では日韓とも公使館しかなく、大使 館は存在しなかった。日本が大使館を持つようになったのは、1905年末、英国の公使館を大使館に格上げしたことが最初だった。

1905年以降、、ここは留学生監督所という韓国「学部」の機関となった。当時多くの留学生が日本にいて、それに対応する必要があったからである。引き続きここには太極旗が掲げられて韓国側の機関であることが示されていた。

1910年に韓国併合となり、ここは朝鮮総督府の所有となり、朝鮮教育会奨学部の 敷地となっていた。公使館の建物は1923年の関東大地震で焼失し、その後空き地になっていたらしい。現在その跡は民家と千代田学園高校のグラウンドに なっている。ただし、千代田学園側は隣接地と複雑に合筆、文筆を繰り返していて、当時の区割りではない。




千代田女子学園高校 グランド 当時からあったと思われる碑石
公使館の 存在を示す碑石の説明文

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