慶慕宮(キョンモグン:경모궁)
 
慶慕宮は昌慶宮正門の向かいにある山を越えた反対側にある。現在はソウル大学病院の敷地である。王宮ではなく、王の父親を祀ったところで、単に「宮」という。
 
ここは英祖(ヨンジョ:영조)が自分の息子、思悼(サド:사더)世子を祀ったところであった。世子は権力の争いに巻き込まれ、奇行をしたことで、父王に殺されてしまう(1762)。英祖はのちになって、そのことを悔やみ、世子に荘宗(チャンジョン:장종)という名前を贈り、王の待遇をすることとした。それとともに、墓を作り垂思廟(スサミョ:수사묘)を作り世子を祀った。また、世子の子供であった正祖(チョンジョ:정조)は、世子を供養するために父の墓の近くの水原に都を移そうとした
 
垂思廟は昌慶宮向かいの含春苑(ハムチュヌォン:함춘원)に移され、慶慕宮と呼ばれるようになった。王はよくここに通ってきたという。宮は1950年の朝鮮戦争のときに焼失してしまい、現在は駐車場の一角に土台石と入り口だった含春門だけが残されている。
 
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