浅川巧の墓
韓 国式に作られた墓

韓国の土となった日本人」で知られる浅川巧は山梨県生まれ。1914年から 22年場で朝鮮総督府山林課に勤務した後、31年まで林業試験場に勤務した。韓国の林業発展に大きく貢献するとともに、「朝鮮の膳」「朝鮮の陶磁名考」を 著した。

朝鮮を愛し、朝鮮語を使い、その風貌は完全に朝鮮のそれだったという。日本の官憲に朝鮮人と間違えられたという逸話まである。31年、職務中殉職した。現 在、忘憂里(マンウリ)共同墓地に埋葬されている。その墓碑には経歴とともに、韓国語で「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きている日本人、ここ 韓国の土になる」と彫られている。

「韓国の山と民芸を愛し…」 累々と墓が築かれる 巧の墓のそばにわき水が(飲める)

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