韓国人原爆犠牲者慰霊碑
(広島平和記念公園)
慰霊碑

平和記念公園の中にある。昭和20年8月当時、広島には10万人の韓国人がいたとされる。このうち約7万人が被爆し、2万から3万名が死亡したとされる。推定人数に幅があるが、いずれにせよ広島での死者20万名のうちかなりの数を占めている。当時の朝鮮王族の1人、李鍝(り・ぐ:イ・ウ)公もその1人であった。馬に乗って出勤途中被爆した。相生橋の近くで救助されたが翌日死亡した。

韓国人被爆者慰霊碑を建てるとき、当初平和記念公園の中への建立を考えたようだが、67年以降の公園内の碑の設置は認めないとする市の方針によって、公の救助された本川岸に設置された。1970年のことである。石材は韓国の石で、韓国で作られてから日本に運ばれた。碑の形は韓国式で作られ、亀の形をした亀趺の上に碑石、その上に竜などが彫られた螭首(ちしゅ)からなる。

長いこと、この碑を平和記念公園内に移す運動が行われていた。90年に移設について合意されたが、市や、南北朝鮮それぞれの立場の調整に時間がかかり、実際に移設されたのは99年7月であった。

原爆ドーム
広島大本営跡(広島城内)
建物部分(木造)は原爆で吹き飛ぶ

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