比治山陸軍墓地(広島市)
軍人供養墓

広島市東部の比治山に日本陸軍墓地がある。戦前からあったものであるが、戦後 再整備され現在に至る。西南戦争からシベリア出兵の頃までの墓石が主である。北清事変(義和団事件)のときのフランス人の墓や第1次世界大戦のときのドイツ人の墓標もあるが、約3000の墓標のうち、半分以上が日清戦争での死者の墓標である。

日清戦争当時広島には大本営があった。山陽本線が広島まで開通していたためで、海沿いの町だったからである。当時、仮の国会などさながら首都機能を移したような状況であった。その後広島は軍都として発展した。大本営跡は、原爆のため礎石だけ残っている

このうち陸軍軍人合葬墓の一つに木口小平の名前が刻まれる。「死んでもラッパを手放しませんでした」という人である(人名については異説もある)。朝鮮の成歓で死亡したが、これはソウル南方50キロ、平沢(ピョンテック)と天安(チョナン)の間である。戦前天安の駅前には木口小平の銅像があったと言われる。

日清戦争は朝鮮の権益をめぐる日清間の戦争であるが、そのことを裏付けるように死者の多くが朝鮮で死亡している。意外に病死者も多い。ある資料によると日清戦争の戦死、戦傷死1530名に対して、戦病死は10,480名ということである。

木口小平の名前
死亡地(ほとんど朝鮮)
右下の「二等兵」と
左写真の「二等兵」が同じもの
北清事変で死亡したフランス人の墓

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