松鶴洞古墳群
1号墳

松鶴洞古墳群は全部で7基の古墳からなる。5世紀後半から6世紀前半に作られた、小伽耶の支配層の墓である。周辺の地形は変えられているが、過去の写真ではもっと多くの古墳が撮影されているし、すぐ北側の岡の上にも大型の古墳があるため、以前はかなり大きな古墳群だったと考えられる。

このうち、1号墳は特異な形をしていて、日本の前方後円墳と同様、前方後円墳ではないかと指摘された。現在は復原されて3つの小山となっているが、発掘調査前の姿はあたかも前方後円墳同様の形をしていた。中央の墳丘は形がはっきりしていなかった。前方後円墳は韓国でも全羅道方面に分布するが規模はこれほど大きくない。この地域の中心となる古墳に前方後円墳が採用されたとすれば、倭との関係で大きな意味を持つとされた。

しかし、1999年からの発掘調査によって、17基の石室をもつ、3基の独立した古墳であることが確認されている。また、1号墳の一番北側の古墳は伝統的な伽耶の古墳と異なり、横穴石室墳で、赤い漆喰で彩色されたものであることがわかった。さらに時代的にも長期間作られていたことがわかり、大墳丘が作られる前にすでに、小型墳丘の土壙甕棺墓作られ、その後大型墳丘の縦穴石室墳(南側の古墳、11基追葬された)、横穴石室墳(南側)、横口式石室(中央)、火葬墓の順に作られたと考えられる。

ただし、外の倭系古墳が在地の古墳とは別に作られているのに対して、ここのものは在地の古墳に接続して作られている。しかも前方後円墳のような形に作られていることは、古墳やこの地域の勢力の性格について考えるうえで重要だと指摘される。

古墳群の前に支石墓がある。元々ここにあったものではないが、全国でもめずらしい「性穴」といわれる穴が30個ほどあいている。このうちの7つは北斗七星を表しているので、星図であろうとされる。

1号墳上から北方を見る 支石墓 支石墓性穴

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