日本時代の共同墓地

地下鉄土城洞駅の裏山にあたる峨眉洞(アミドン)には日本時代に火葬場と共同墓地があった。火葬場は釜山大学病院の近く、共同墓地は峨眉初等学校の裏手の、急な山を登ったところにあった。現在は山の中腹まで張り付くように住宅が建ち並んでいて、痕跡をさがすことはできない。

釜山は朝鮮戦争のときに共産軍に落ちず、臨時首都になったところであるため、多くの北からの避難民が山にへばりつくように家を建てて生活した。竜頭山公園などもそのような家に埋まったという。そのような雰囲気を残しているところである。

共同墓地跡からは釜山市内、影島が見通せる。その向こうは日本である。この場所に墓地を作ったのは、日本に対する望郷の気持ちもあったからであろうか。そのようなことも思わせる立地であった。

※ 帰国後、釜山市立墓地に「日本人慰霊碑」が立てられ、過去帳や位牌がまつられていることが分かった。

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影島
付近の山の様子

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