伝朝倉橘広庭宮跡
朝倉橘広庭宮跡の碑

朝倉橘広庭宮は661年、、斉明天皇が百済復興のために行宮にした場所である。現在「宮跡」とれている所は伝承地であって、この場所からも特に遺構は出てきていない。『日本書紀』では斉明天皇は661年5月9日にここに遷ってきたが、宮を作るときに朝倉社の木を切り払って作ったので雷神が怒って御殿を壊し、宮殿に鬼火が出、大舎人や近侍の人びとに病んで死ぬ者が多かったという記事が出ている。その斉明天皇まで8月1日には死去してしまう

宮の入り口に、長安寺廃寺跡を示した碑がある。奈良から平安時代にかけての寺で「朝闇寺」「朝鞍寺」と呼ばれていた。ここから出てくる瓦は8世紀前半のものであるが、天智天皇が斉明天皇の冥福を祈って建てた観世音寺と筑紫尼寺とある。そののうち、長安寺は朝倉橘宮跡に営まれた筑紫尼寺ではないかと推定されている。寺跡と宮跡入り口の間には「猿沢の池」という溜池がある。

宮入り口の脇にはは朝闇神社がある。朝倉の地名の元になった神社と考えられている。

 朝闇神社 長安寺廃寺跡の碑 猿沢の池
    
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