trm006001.gif
シルクロードのトップへ
c40b1160.gif c40b1161.gif
新疆ウイグル自治区(タクラマカン砂漠)旅行記
2003年9月18日より10月2日までの15日間、シルクロードの雰囲気を色濃く残す新疆ウイグル自治区を旅行しました。写真集と併せてご覧下さい
1.旅行の契機
 地形的にシルクロードをどのように区分するかは色々な考え方があるが、便宜的に上図のように分けて見た。勿論、時間軸的にも平面軸的にもそれほど簡単に区分出来ないことは分かっている。ラクダの隊商が砂漠の中を進む事はどの地域でも同じかも知れないが、地域によりそのニャンスは異なる。

(1)イラン文明圏(ヘレニズム文明)の地域
 西方のイラン、イラク、シリア、ヨルダン、トルコの辺りはイラン文明圏(またはヘレニズム文明圏)で大まかに括れると思う。トルコ、イランは過去に旅行したことがある。
 ローマ、ギリシャも過去訪問した。ローマはシルクロードの西端である。

(2)中央アジアの地域
 今年の7月に旅行したパミール高原より西の中央アジアのサマルカンドやブハラは、西方のイラン(ヘレニズム)文明圏と漢民族の文明圏の中間にあり、その地の利権を巡って強国が覇権を争った地域である。この地域は西方と東方の往復ビンタを喰らいながら幾多の民族と文明が興亡したが、敢えて言えばこの地方の文明は西方の影響が強かった。

(3)タクラマカン砂漠(タリム盆地)の地域
 今回旅行したパミール高原より東のタクラマカン砂漠は、他の3つの地域とは意味合いが異なる。この地域は西方の文化を東方に伝える仲介的な立場をとりその意味では偉大な業績を残した。この地域自体の文明も高く評価されてはいるが、他地域に影響を与える程の独自の文明が力強く花開くことは無かった。砂漠の中のオアシスの気候風土はどの地域でも厳しいが、中でもこの地域が一番厳しいのではなかろうか。そしてこの地域は他のオアシス地域より早く衰退し、土の文化の色合いを強く持つ崩壊した遺跡が砂漠の中に姿を留めているだけである。従って、この地域の文明は他の3地域のように明確な定義が出来ず、「浮草の文化」「根無し草」と表現する学者も居る。

(4)中国文明圏(漢民族文明)の地域 
 今年の1月2日より大寒波襲来下の北京を訪問したが、その北京から長安(西安)を中心として西に河西回廊を経て敦煌までは漢民族文明の地域である。長安の西門はシルクロードの出発点となっている。

 以上のようにシルクロードを分類するとタクラマカン砂漠は性格を定義しにくいオアシス地域だけに、是非私の目で直接見る旅行がしたくて今回敢えてタクラマカン砂漠の15日間のツアーに参加した。それと、この地域を旅行すれば非常に飛び飛びではあるが、オアシスルートのシルクロードを西から東まで垣間見たことになるので、その自慢の種を作りたかったこともある。

                             続く

                             2003年10月5日 記