中国シルクロードの歴史地図(続き)
§6. 6世紀、隋の時代になると漢族が再び西域経営に乗り出すようになった。
§7. 619年に河西回廊を奪還した唐は、タリム盆地を支配していた西突厥を攻めて648年には
西域全土の直接支配に成功した。さらに657年にはサマルカンドやブハラを唐の冊封体制下
に置いた。西の大国はササン朝ペルシャであり、この時代がシルクロードの全盛期であった。
§8. 隆盛を誇った西のササン朝は7世紀の半ばにウマイア朝に滅ぼされ、705年にはアラブ軍が
ソグディアナを占領し、西域での唐の影響力が弱まった。さらに751年タラス川で唐とアラブ
軍が対峙し唐は大敗した。755年唐は内乱の時代に突入しオアシス路はチベットの吐蕃に
占領されてしまった。
§9. トルコ系のウイグル族は745年に突厥を滅ぼし唐の政治にも介入するようになった。しかし
839年にキルギスに破れ、河西回廊を南下してタリム盆地に住みつき866年に西ウイグル王
国を建設した。こうして9世紀には西域の主要民族はウイグル族となり、西域の民族構成に
劇的変化をもたらした。
§10. 960年ウイグル族の一派が興したカラハン朝がイスラムに改宗すると西域のイスラム化が
進み、18世紀までには西域の殆どの民族がイスラム化した。
§11. 13世紀はモンゴルの時代で全アジアがモンゴルの版図となり妨害者がいなくなったシルク
ロードは最後の全盛期を迎えた。
§12. 14世紀以降主要な交易ルートは海洋ルートとなりシルクロードは徐々に廃れていった。