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NHKスペシャル 新シルクロード
「激動の大地を行く」シリーズ
放映日 2007/10/28
執筆日 2007/10/29
第6集 「“希望”の門」 を視聴して
(本稿は、別途開設しているブログ “「新シルクロード」雑感” より転記したものです)
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 本日(10月28日)のNHK「新シルクロード 激動の大地を行く」 のシリーズ第6集は「"希望"の門(トルコとクルド・2つの思い)」 であった。

 祖国なきクルド人とトルコは、今が正に紛争の最中であり、先が読めないことになっている。テレビでは毎日トルコ兵士やクルドゲリラの戦死者のニュースが流れている。このような状況下でNHKのテレビが、よくぞ危険を冒してまで双方の若者達を撮影したと思われる場面もあった。

 トルコ兵に村ごと焼かれ、近親を殺害されたクルド人、そのクルドのゲリラによって狙撃されたトルコ兵の肉親者。どちらの当事者にとっても、戦いは正義であろうが、現時点の紛争なので、双方の犠牲者を悼んで軽率な批評はしたくない。

 番組のナレーションでは、繰り返し「クルド人」を少数民族と呼んでいたが、これは正しい表現であろうか。一般的にも「クルド人」が少数民族と呼ばれていることは分かっている。しかし、2500万人〜3000万人の人口を持つ民族が、なぜ少数民族と呼ばれるのか?

 それならば、例えばヨーロッパのオランダ(1600万人)、スイス(730万人)、スェーデン(900万人)、デンマーク(540万人)はもとより、ヨーロッパの多くの国は少数民族の範疇となってしまう。また、石油資源で潤っている中東の国々も、その多くは少数民族に分類される。

 ということは、「少数民族」 は「少数人口」 で定義されているのではなく、周辺より弱い民族のことをいうのであろう。弱くなった原因は歴史的・地理的にいろいろあるのかも知れない。しかし、そのために文化を否定され、経済的に犠牲を強いられ、行動を著しく阻害されることは、その先祖に原因の一端があったと仮定しても、現在苦しんでいる人々に全責任があるとは思えない。

 一方、少数民族の言い分を全て聞き入れれば、今度は大国間のバランスが崩れ、そこに大きな紛争が新たに生まれる。多分世界史はこのようなことを、営々と繰り返してきたのだろう。複雑な世界情勢下では、ますます糸が縺れてくる。

 強国が自国の国益獲得を正義とし、文化と宗教の多様性を認めない状況下では、平和は訪れない。弱肉強食の肉食動物である人類に、この問題が解決出来るのだろうか。

 トルコの街のバスターミナルから、ゲリラ掃討のために徴兵されて出陣する兵士を盛大に見送る場面があった。かつての日本が太平洋戦争当時、出征兵士を送り出したニュース画面と記憶が重なった。"いけいけどんどん"の雰囲気である。

 かたや、恋人を紛争で失った元クルドのゲリラのインタビュー、「戦うことが全てではない。目的は人を殺す事ではない筈だ。戦いがもたらす代償の大きさに気づいて欲しい。敵にも母親や父親がいる。愛する家族がいる。武器からは何も生まれない」 との発言も印象的であった。
トルコからイラク内のアメリカ軍基地に、航空燃料を運ぶクルド人のトラック運転手の言葉、「美しかったシルクロードは、今は戦争の道になってしまった。それでも生きるためにこの道を走り続けるしかない。地雷の上を走ってでも‥‥」

 この度の「新シルクロード 激動の大地を行く」 シリーズは、少数民族の犠牲をテーマとして取り上げたものが結果として多くなったようだ。何度も繰り返すが、このような生々しい現実の問題に対して、壮大なシルクロードのロマンを重ね合わせることには違和感を覚える。了
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