リビアの古代史
1)古代フェニキア人の流通圏の時代(BC 15世紀頃〜BC 8世紀頃)‥‥フェニキアは、古代の地中海東岸(およそ現在のレバノンの領域)に都市国家を形成して海上交易に活躍した。
2)カルタゴの勢力圏の時代(BC 814年頃〜)‥‥フェニキア人はカルタゴに巨大な植民都市を建設し、その勢力圏は地中海沿岸の広い地域に広がった。
カルタゴとギリシャの戦いは 「シチリア戦争(BC 480〜BC 307)」 と呼ばれシチリア島の領土を争った。
今回訪れた 「キュレーネ遺跡」 はBC
5世紀頃ギリシャによって建てられたが、後にローマ帝国時代に建て替えられた。
3)ローマ帝国の時代(BC 146年〜)‥‥ローマ軍の約1世紀にも渡るカルタゴ攻略(ポエニ戦争BC
264〜BC 146年)により、カルタゴは滅亡し、ローマによって新たな殖民都市が造られた。
今回訪れた 「サブラタ遺跡」 「レプティス・マグナ遺跡」
は、カルタゴの時代に建造され、ローマ帝国時代に建て替えられたものがほとんどである。
ローマ人は壮麗な建築物を建て、街中をモザイクと大理石で飾り埋め尽くすことによって、経済的な豊かさを街に還元すると共に、生活文化を心ゆくまで堪能していた。ただし、このような特権が得られたのはローマ市民権を有する者だけであった。
4)ヴァンダル族の時代(AD 5世紀〜)‥‥ヴァンダル族は、ローマ帝国末期にヨーロッパ中央部に侵入した東ゲルマン人の一部族で、カルタゴを中心にヴァンダル王国を建国した。
5)ビザンチン帝国の時代(AD 6世紀〜)‥‥ビザンチン皇帝(東ローマ帝国)は533年に軍隊を派遣し、ヴァンダル王国は敗北した。
カルタゴは再びローマ帝国の領土となり、帝国の西方の重要拠点として組み込まれた。
6)アラブの勢力圏の時代(AD 7世紀末〜)‥‥647年、エジプトのアラブ人がカルタゴを攻撃した。これは辛うじて退けたものの670年から683年にかけて再び攻撃を受け陥落した。
698年にはアフリカ大陸にあったビザンチン帝国最後の拠点が、イスラム教徒の軍隊によって失われた。
その後この地方は、イスラム・アラブ系の色々な国の勢力圏に組み込まれ、さらにオスマン・トルコ帝国(16世紀)と支配者が次々と変わることになる。
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