ドゥスン族のガイドとポーター
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写真−15〜17
ドゥスン族の住居
2008.4.17
am6:15
ドゥスン族のガイドとポーター 裕福層の住居
ドゥスン族のガイドとポーター
2008.4.18
am9:33
2008.4.18
am9:45
ドゥスン族の住居(上)と、裕福層の住居(下)
(クンダサンにて)
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首狩族‥‥
登山ガイド兼ポーターの、ギニック、コニー、カルンの3人は、先住民ドゥスン族であり、「首刈族」の末裔である。彼等は、大人しく、争いを嫌い、何事にも控え目で、人懐っこく、人に尽くす性格と言う。強盗や殺人は決して行わない。私も山を下りるまで首は無事に繋がっていた。

ベトナムやインドの奥地の少数民族を訪れた時も、同様な感じであった。慾深く獰猛な人種は、アングロサクソンなど商売熱心な大民族である。

なお、左から2人目はドゥスン族ではなく、中国系のマレーシアの旅行社のスルーガイドであるが、彼も心が綺麗で誠実なガイドであった。

「首狩り」は、古くボルネオ先住民族に共通した風習であった。部族間の争いにおいて、敵の大将とか地位の高い者の 「頭」 は勝利の証であり、戦果を誇示するものであった。ボルネオでは持ち帰った「頭」 を丁寧に扱うことにより、「相手の力が自分達にそなわる」 との考えがあったようだ。部族間の争いは人口の抑制にも効果があった。

ある部族では、若者が結婚適齢期になり、娘さんを気に入ると。娘さんの父親から「娘が気に入ったのなら、結婚のしるしに首を取って来い」 と命令される。若者は自分が勇敢であることを示し、娘の愛情を確保するため、どこかで首を刈って持ち帰らなければならない。

私は古のボルネオに生まれなくて良かった。首を刈る立場なら良いが、刈られる立場にはなりたくない。

日本の武士社会でも、敵の「頭」 を槍の先に突き刺して凱旋する習慣があった。日本の武士社会は、古くのボルネオよりも政治体制・芸術・文化・科学は進んでいたのに、「頭」 を槍の先に突き刺した。日本人がボルネオの「首狩り」 を野蛮と批判する資格はない。

現在の日本のサラリーマンも常時首切りにおびえ、また首を切ることに快感を味わっている管理者も居る筈である。これも人生の適度な緊張感なのだろうか?