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訪問した国々の激しい変化
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§1.イランの変化
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テヘラン市内の洋装の若い女性。
体重計測屋の前で躊躇している。
ホメイニ革命後洋装の女性は消えた。
(1976年10月)
コーラムシャ郊外の土漠の中の民家。
3年後には激戦地となった。
(1976年10月)
1976年10月、イランのテヘランとコーラムシャに出張した。

私が36歳の時である。当時イランはパーレビ王朝の絶頂期であり、石油資源を基にした近代化の最中で、外国の大手企業も将来有望と見て盛んに乗り込んだ時期である。

銀行や商社或いは企業では若い女性の活躍が目覚しく、近代的な洋装で颯爽と仕事をしていた。紀元前500年ダリウス王朝時代からのペルシャ美人である。

発展期の矛盾は含むものの、この勢いで行けばイランの将来は中東随一の経済大国となるのは間違い無い雰囲気だった。アメリカも最新鋭の兵器をイランに供与し、民主化への圧力を掛けていた。

しかしパーレビ一族への極端な富の集中とインフレの発生、イスラム教軽視などが国民の反感を買い、1979年にイスラム教シーア派ホメイニ師が指導する政教合体政策のイスラム革命が成功し、パーレビ王朝は崩壊した。

同時に女性は家の外では身体を全て覆うチャドルの着用が義務付けられ、女性の職場進出も止まってしまった。酒も一切禁止された。

さらにテヘランのアメリカ大使館人質事件(1979年)が起こり、アメリカはイランを経済制裁してきた。

このイラン革命の混乱に乗じて隣国のイラクが、領土拡大を目論んで1980年に国境のチグリス・ユーフラチス川を越えてイランに侵攻し、所謂イラン・イラク戦争が始まった。

この時のイラクの大統領は、現在の大統領フセインである。因みにイラクの宗教はイスラム教スンニー派である。

この戦争は両国の消耗戦となり、1988年に終結はしたが両国とも疲弊した。

アメリカは当時イランの宗教革命の世界輸出を警戒し、イラクのフセインに武器や資金を援助した経緯がある。
しかし最近アメリカはイラクの核兵器所有を懸念し、イラク攻撃を世界に呼びかけマスコミを賑わしている。

イランとイラクの国境に近い町コーラムシャにも行った。周囲は土漠地帯であり写真のような風景が続く。ここはチグリス・ユーフラチス川の河口近くで、川の真ん中が国境である。

この一見平和に見えた町も3年後には凄まじい激戦地となり、ホメイニ革命後はバンダルホメイニと地名を変えている。

海外旅行で一番カルチュアショックを受けたのはイランである。
そして訪問後 も激しい変動を続けている国である。       

平成14年11月8日 記 



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