民族衣装と民族様式の建築
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写真−36
民族衣装と民族様式の建築
パロ郊外
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2004年4月3日 
民族衣装と民族様式の建築 ‥‥
ブータン唯一のパロ空港に降りて先ずびっくりすることは、民族衣装の空港職員と民族様式に統一された空港の建物群である。バスに乗ると運転手もガイドも民族衣装、街並も全て民族様式の建物と民族衣装の人々、ホテルも同様である。遠方に見える農家も全て民族様式の建築である。

同じヒマラヤ地方でも西の隣国シッキムはインドに併合され、ヒマラヤ山脈の北側のチベットは中国の一部となり固有の文化は著しく破壊された。またネパールは観光化、近代化がアンバランスに進んでいると言う。

それを見たブータンの国王が強国に併合されるのを避ける為に1971年に鎖国を解き国連に加盟し、国語としてゾンカ語を定め民族衣装と民族様式建築の義務化を制定したと言う。一大見識である。それまではジーンズを穿く若者も居たと聞いた。早い時期に強国に併合されなかったのは交通不便な地であったことも幸いしたらしい。

「大切なことは、国民総生産ではなく国民総幸福量である」。これはブータン現国王の有名な宣言であり、「物質的発展によって心のやすらぎが損なわれることがあってはならない」を理念としている仏教国だと言う。

日本では個性的と言う言葉が先行し競ってアンバランスな建築が出現しているが、ブータンの建築は自然に溶け込んで心安らぐ風景となっている。民族衣装も作業を伴う仕事の場合は多少窮屈かも知れないがとても風情がある。

世界一の着道楽と言われるほど人々は惜しげもなく着物に金を使う。ツェチュ祭のために娘に半年分の給料の衣装を買うこともあると言う。感心したのはインドのようなカースト制度は無いので皆平等であり王様も同じ服装だと聞いた。

2日間見物したパロ・ツェチュ祭は強烈なものだったが、祭の出し物だけを競うなら京都や東北の祭も凄いかも知れない。決定的な違いは日本の祭の見物客はTシャツにジーンズであるが、ブータンの祭の見物客は全員が民族衣装である。全員が宗教行事に参加すると言う点において祭の意味が観光化された日本とは根本的に異なっている。