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ラールバーグ・フォート
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写真−159〜160
ラールバーグ・フォート ピンクパレス
ラールバーグ・フォート
2010_2_27
英統治時代の豪邸アーサン・モンジル→
(通称ピンクパレス) 
2010_2_27
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ラールバーグ・フォート‥‥
ラールバーグ・フォートの歴史は、ムガール王朝アクバル大帝が16世紀後半にベンガル、ビハール、オリッサ地方を征服し、ダッカをベンガル地方の首都としたことから始まる。そして、ムガール王朝6代皇帝アウラングゼーブ(在位1618〜1707)は、皇帝の3男であるムハメッド・アザム皇太子のためにラールバーグ・フォートの建設計画を、ベンガル地方総督のナワブ・シャイスタ・カーンに命じた。
ムハメッド・アザム皇太子は自ら建設の指揮をとったが、インド中央部での戦いを指揮するため完成を見ないでダッカを去った。そのため、ラールバーグ・フォートの建設はベンガル地方総督のナワブ・シャイスタ・カーンに引き継がれた。建設途中に、ナワブ・シャイスタ・カーンの娘ビビ・パリが死んだので、彼は悲しみのあまり建設を中止し、亡き娘のためにインドのタージ・マハールに倣った墓を建てた。中は黒の玄武岩や光沢のあるタイルで装飾されている。

このラールバーグフォートは、バングラデシュで一番手入れ・整備された場所と言われる美しい庭園で、広い芝生と花と、気持ちよい木陰があり、まわりの雑踏の街中と比べると別世界のように静かで落ち着いている。ダッカの若者にとって、デートのメッカともなっている。